- 1929年(昭和4年) 0歳 2月7日、父臺助、母静恵の長男として横浜で生まれる
- 1931年(昭和6年) 2歳 父臺助の事業の関係で朝鮮の鉄原に移住。両親の郷里である高知と朝鮮をたびたび往復。
- 1941年(昭和17年)13歳 高知県越知高等小学校一年修了。私立高知城東商業学校入学。15~16歳頃から詩に目覚める。
- 1947年(昭和22年)18歳 城東商業学校卒業。学制改革で新しくできた新制中学校の代用教員に。この頃、”前衛詩”の方向定まる。
- 1948年(昭和23年)19歳 前衛詩誌「さぼてん島」創刊。
- 1950年(昭和25年)21歳 正式教員になるため高知大学臨時教員養成科入学。
- 1952年(昭和27年)23歳 詩誌「LE NOIR」創刊。法政大学文学部史学科(通信教育)入学。
- 1954年(昭和29年)25歳 西 卓(ペンネーム)詩集『水の装い』(三角旗社)刊。詩誌「像」創刊。
- 1955年(昭和30年)26歳 北園 克衛の「VOU」、十国 修、衣更 着信らの「詩研究」に参加。
- 1956年(昭和31年)27歳 詩集『大きなドーム』(VOUクラブ)刊。
- 1958年(昭和33年)29歳 詩集『乾いた種子』(国分社)刊。教員生活をやめ、上京。
- 1962年(昭和37年)33歳 作品集『ひびきあるもの』(文林書房)刊。ペンネームの使用をやめる。
- 1964年(昭和39年)35歳 同人詩誌『現存』を昭森社で発刊。
- 1967年(昭和42年)38歳 詩論集『想像力と感覚の世界』(昭森社)刊。
- 1968年(昭和43年)39歳 詩集『なにがぼくらの魂をしずめるか』(昭森社)刊。
- 1975年(昭和50年)46歳 季刊同人詩誌「舟」(レアリテの会)創刊。
- 1976年(昭和51年)47歳 詩画集『婚礼』(画・日和崎尊夫、沖積舎)刊。
- 1978年(昭和53年)49歳 詩集『夢の切れ端』(沖積舎)刊。
- 1988年(昭和63年)59歳 詩集『瞬間とたわむれ』(レアリテの会)刊。
- 1990年(平成2年) 61歳 東京から高知へ転居。
- 1995年(平成7年) 66歳 詩集『いびつな肖像』(レアリテの会)刊。
- 1999年(平成11年)70歳 『西一知全詩集』(沖積社)刊。
- 2000年(平成12年)71歳 岩手県滝沢村(現・滝沢市)に西 一知の詩のタイトルを店名とした喫茶「ぼくらの理由」がオープン。 高知よりたびたび岩手を訪れる。
- 2000年(平成12年)71歳 『同人詩誌 舟の軌跡』(レアリテの会)刊。
- 2003年(平成15年)74歳 エッセイ集『詩の発見』(高知新聞社)刊。
- 2005年(平成17年)76歳 ふたたび、東京に転居。
- 2008年(平成20年)79歳 東京から滝沢村(現・滝沢市)の喫茶「ぼくらの理由」の奥の部屋(現資料館)へ転居。
- 2010年(平成22年)81歳 5月4日、肝臓ガンにより死去。
- 2012年(平成24年)- 全詩集以降の詩と詩論をまとめた『西一知 詩と詩論集』(編集工房「ぼくらの理由」)刊行。
- 2012年(平成24年)- 終焉の場所となった喫茶「ぼくらの理由」の奥の部屋が「西一知記念資料館」として公開される。
- 2015年(平成27年)- 韓国語版『西一知詩集 ぼくらの背後の天使』(ゴールド・エッグ社【韓国】ハン・ソンレ訳)刊行。
- 2015年(平成27年)- 韓国語版『西一知詩論集』(ゴールド・エッグ社【韓国】ハン・ソンレ訳)刊行。