西一知が編集・発行した季刊同人詩誌「舟」の毎号の後書きは、「季刊同人詩誌『舟』の軌跡」と題されて書籍になっています。第1号が発行された1975年からの同人の活動が刻々と紹介されています。また、日本の社会状況や現代詩の世界の動向なども垣間見ることができます。

舟1~5号 舟6号~ 舟11号~


舟1号(1975年8月)

表紙画・笹岡信彦

扉画・向井隆豊


●創刊同人近況 他

■相沢史郎は8月豊田玉萩伝『薔薇と幻野』(予価1000円)を氷湖社より、また、評論集『東北・ウラの文化と思想』を時事通信社より11月に刊行予定。■井奥行彦はアンソロジー『火片詩集』第4集(火片叢書14、200頁、18人共著、1500円)を7月発行。詩誌『火片』74号を8月15日に発行予定。■一色真理は『詩学』の「マヤコフスキー覚書」が連載2年目に入りました。9月創刊の詩誌『四次元』(矢立出版)は創刊誌上にて『異神』詩選を掲載予定。なお、同人詩誌『異神』18号は10月頃発行の予定。■岡崎純は詩集『重箱』、『藁』につづく第3詩集を計画。『藁』以後の作品を目下整理中。■6月7日、第5回九州詩人祭が長崎市で開かれたが、金丸桝一は「詩と詩の行為について」を発表。■8月17日、広島では『北村均・中原秀雪合同出版記念会』が開かれる予定。■経田佑介は個人誌「blue jacket」11号を6月に発行、12号を11月発行予定。詩朗読では7月に新潟県三条市のblue jackt workshop朗読会と、東京・高田馬場「ピープル」での『赤提灯』主催西一知詩朗読会に参加朗読。なお、8月17日大阪パルコにおける『関西ポエトリー・フェスティバル』にて朗読予定。■こたきこなみはまだ詩集はありませんが、5月刊行の『地球』創刊25周年記念号「地球詩集」に自選詩5篇参加。なお、同号には岡崎純、山崎和枝も参加。■坂本稔は5月に「詩誌「南方手帖」16集を発刊、6月下旬高知市「金高堂」ギャラリーにて『詩画展』を開催。■杉谷昭人は第2詩集『わが町』をようやく印刷に回すところ。■鈴木獏は第5詩集をまとめるべきか、どうか? して、また何の為に? とハムレット的に思案中。■鈴木満は詩集『火天』(1500円)を国文社より8月刊行。■大家正志も詩集『パントマイム』

を混沌社より9月刊行予定。■中正敏の第6詩集『モズクの子』(仮称)も校正段階に入った。詩学社刊。■麦田穣は海抜1995メートルの剣山測候所で雲と星を眺めながら『詩研究』(十国修氏発行)と『舟』の詩を醸成中。■山崎和枝は6月『地球詩画展』に出品。■笹岡信彦は10月発表予定の500号キャンバスと格闘中。■版画家日和崎尊夫は文化庁海外研修員でヨーロッパ留学中。7月はスペイン、アフリカへ。モロッコで『カリル・ジブラン』全詩集を発見。サーディ、ハーフィズの詩の聴けるパリのアラブ人経営の酒亭でもっぱら・・・。■西一知は日和崎尊夫木口木版画手刷り版画入り作品集『婚礼』を準備中。■國井克彦は個人的同人誌『四海』16号を10月に発行予定。

 本誌は、今春、中正敏と西一知によって提案された。そして、予定通り8月創刊を迎えた。地域、世代、さまざまの問題を越えてここに一つの強い詩精神の場が生まれ得たのには、もとよりそれなりの理由があるが、この欄でそれを主張したくはない。いかなるマニュフェストよりも深くぼくらをつき動かしている何かがあったのだ、というにとどめたい。ぼくらは、それを凝視する。それは、これから徐々に明らかにされるであろう。読者諸賢もそれをみつめていただきたい。(西)

 本誌編集同人  相沢史郎 一色真理 中正敏 西一知

 

舟2号(1975年11月)

表紙画・笹岡信彦

扉画・斎藤隆


●詩=人間の自由の証

■8月も終りのある日、上田敏雄氏から突然一篇の詩稿が寄せられた。氏の「ネオ・ダダ宣言」は目下中野嘉一氏の『暦象』に連載中で併読をおすすめする。

■遠山信男、本多寿氏両氏が本号から仲間に加わった。遠山氏は、昨年処女詩集『匿名の焔』を上梓されたが、これは1941年から73年まで32年間のそれもほとんど未発表の作品を収録したものである。扉に“私は証人だ 私自身のためのただひとりの証人だ”というA・アルトオのことばが録されているが、これは単に氏の生き方を表わしているだけではなく、より深く詩の本質を、さらには戦後詩人のあるべき本来の姿に対する鋭いクリティック=告発を含んでいるものと受けとめたい。

本多寿氏は、遠山氏が詩へ出発した頃はまだ生まれていなかった世代に属する詩人である。みえのふみあき、本多利通氏らすぐれた詩精神のあつまる宮崎県延岡市に住んでいる。■岡崎純詩集『竹の箸』、鈴木満詩集『火天』、大家正志詩集『パントマイム』が刊行された。杉谷昭人詩集、中正敏詩集、相沢史郎の豊田玉萩評伝集もまもなく刊行になる。詩集『竹の箸』はハガキよりも小さな本だが、内容は暖かく、鋭く、そして仄かな北陸の光に包まれた佳品。“子どもたちの/じゃんけんが終って/この家の/いちばん小さな女の子が/みずすましの輪のような/その食卓に/新しい箸を並べている(「新しい箸」)、このような短い詩が23篇収められている。『火天』、『パントマイム』も個性的な詩集である。■1975年が終わろうとしている。ぼくらがみつめるもの、ぼくらのなかで始まるものが何であるかに思いをひそめる。個の生は、それがその時代におけるもっとも弱き部分であるが故に、その時代をもっともよく反映するものである。もっとも弱き個の感受性が血を流し、叫び、黙し、証し、そしてみずからのなかに何かをはぐくみながら、今年も終ろうとしている。詩人が、その時代を証し、かつ、人間が時代とともに失ってきたみずからの本然の姿を蘇らせることができるのは、なんとしてもテクニックにおいてだけではない。いかなる美の規範、存在のための規範もしりぞけて「レアリテの会」が“個の生の復権”を主張するのは、それが、“詩=人間の自由の証”を可能ならしめる根源的な基盤にほかならないからだ。

 口語自由詩発生の基盤をもう一度たずねることが、戦後30年以降の最重要課題になると思われるのはかかる理由からである。一色真理の本号小論は、このようなパースペクティブをはらんだものとして読まれたい。(西)

 本号編集同人 相沢史郎 遠山信男 中正敏 西一知

 

舟3号(1976年2月)

表紙画・笹岡信彦

扉画・鈴木広行


●詩は個の所有に属さない

■本号より郵便料値上げ、駄文は書けぬ。時あたかも“ロッキード疑獄”、国会への証人喚問。問われるのは法の問題ではなく戦後日本人そのものである。“戦後はもはや終った”のではなく、もう一度やり直すべきである、というのが、昨年8月15日『舟』創刊のときの意図であったことをあらためて思い起こす。“詩人は文明批評家でなければならぬ”といったのは戦後『荒地』グループであったが、詩人は“時代の証人”であるべきだろう。

■ただひたすらにおのれの感性の世界に埋没する詩、精神のあらゆる分野におけるナルシズムを警戒するのは、それが個の弱体化、消滅につながるからだ。口語自由詩が個の発見の歴史を背負うとすれば、敗戦後30年の詩の歴史は個の生の復権を担うはずである。詩はただおのれを書けばよい、というものではあるまい。それは、深く個の尊厳にかかわっている。詩は個の生に属するであろうが個の所有には属さない。すべての普遍的なものは個に発するが個の所有には属さない。感受性を通して人は何に到達するかということが重要なのだ。詩は究極的には個の生を覆い、個の生を変革するものでさえあるのだ。まずもって個が属する生の領域をくまなく見ること、感受性を嵐にさらすことから詩は始まる。

■相沢史郎の豊田玉萩評伝『薔薇と幻野』が刊行された。豊田玉萩は金田一京助と親交のあった岩手の詩人。1号で予告した中正敏の第6詩集『モズクの子』は『ちいさな悲願』と改題して2月末刊行。

■大先達上田敏雄氏より本号にも詩稿が寄せられた。しかも印刷費つきで。感謝。

 詩集『高層原点』の著者酒井文麿氏が本号から参加。

 目次版画の鈴木広行は1950年生まれのきわめて注目すべき新人。パリ在住。深い瞑想の奥から、かすかなしかし強いことばが発せられている稀有の画である。(LIEU GEOMETRIQUE 部分)。

同人版画家日和崎尊夫が1年のヨーロッパ留学を終えて帰国した。西一知作品集『婚礼』の画も揃い、沖山隆久氏の沖積舎で進行中。

 本号編集同人 前号通り

 

 

舟4号(1976年5月)

表紙画・笹岡信彦

扉画・山下菊二


●「舟」では画も詩である

■酒が大量に消費される地域は、東京や大阪などの大都市と、九州南部・東北などの辺境地帯だという。つまり過密の都市と過疎の辺境ということ。とすれば、過疎地帯では、一人の男が消費する酒の量は、都市の何千人の男の酒に相当する。どうしてこんなにヘドを吐くくらい酒をのまなければならないのか。アルコールに自滅するインディヤン、スラムの黒人、南アの原住民の屈折した生きざまは何を訴えているのか、<姥捨て>、そして男たちの酒による自己抹殺の行為はいまも進行している。人種や個を廃絶に追いつめるもの、支配構造とはそもそも何なのか。男たちの酒乱史はまだつづいていく。■詩なんて何になるのか、所詮引かれ者の小唄か逃避よと自虐しながら、それでも詩をかく。せめて、内臓や漬物をくらいながら、焼酎をのんで荒れる南や北の男たちになりたい。<怒り>を激発させるために。『小さな悲願』(中正敏第6詩集)にこめられた大いなる怒りに、内なる偽装された日常性に亀裂が入った。                 (相沢 記)

■相沢史郎は酒というものを現実に引きもどした。辺境土佐出身のぼくはみずからへの自戒として受けとっておこう。ちなみに、中正敏は昨年春以来完全に断酒している。ぼくは彼の酒が復活する日の到来を願っている。

■中正敏詩集『小さな悲願』が完成した。詩は一人の魂から一人の魂へと伝えられる。言葉はそれを運ぶ媒体といえようが、ここでは作者自身が媒体(言葉)と化している感がする。恐ろしい本である。

■宮崎の杉谷昭人詩集『わが町』もできた。土の臭いの中にひじょうな明晰さが秘められた詩集である。いまの都会でこのようにエレガントな詩集はむずかしいことかも知れない。

■『舟』目次画は新しい画家の紹介を目的としてきたが、本号は特に山下菊二氏にお願いした。なぜか?戦中捕虜のデッサン、1947年「マルドロオルの歌」にはじまる氏の画業のすべてはめくるめくレクイエムの世界であり、最も苛烈な告発の書となっているからである。この生の刻印を消し去ることは何人にもできないだろう。「原画展」の最中本号のために新しく作画頂いたことを感謝。

■本号より仙石誠参加。一色真理が「早稲田詩人」参加の頃出ていった詩人で、以来ほとんど孤立して書きそれを一本にまとめたものが今度の詩集『生まれる時の遺書』である。「生まれる時・・・」私達もかくありたい。なお次号から神戸の藤村壮氏参加の予定。

 本号編集同人 相沢史郎 遠山信男 西一知

 

 

舟5号(1976年8月)

表紙画・山下菊二

扉画・井上敏男


●読者に迎合しない詩を

■戦後30年の8月15日、『舟』は創刊された。それから1年、『舟』の方向は徐々に明らかになりつつある。それが何であるかは私たち自身が規定すべきではない。すべては読者諸賢の判断に委ねられているからだ。しかし、ここで私たちがすべての読者を無条件に信じているのではないということも付記しておきたい。詩は、既成のいかなる文学概念からも自由な、曇りなき感受性に向かって開かれたものであるからだ。新しい詩の出現はおおむねスキャンダル=読者の既成文学に対する信頼に平手打ちを食わせるもの、であるということも覚悟しておいてよいであろう。今号井上勝子の参加は「レアリテの会」に新しい意味を与えるものである。中正敏の「関係ご当局のお許し状について」は前号掲載の「T保険株式会社H・I殿」と「同M・K殿」をぜひご併読願いたい。また『舟』(同人誌にして詩誌)がなぜこうしたものを擁するか、深くお考えいただきたい。飛躍するかもしれないが、私はかって『荒地詩集』がつねに死せる朋友の詩を擁していたことに、その詩集の最も積極的な意味を見出すものであるということを付記しておこう。

■本号表紙画は山下菊二氏の1962年第15回日本アンデパンダン展出品の「死霊とともに」(6尺×7尺)、本号のため特に選んでいただいた。笹岡信彦にかわって今後1ヵ年表紙画を担当していただく。目次画は畏友井上敏男氏の本誌のための新作銅版画。詩も画も現代においておかれている状況は同じである。『舟』において画は詩と同じ積極的な意味を持つ。

■相沢史郎の労作『<ウラ>の文化』が時事通信社より上梓された。くわしい紹介をするスペースがないが、東北の深い闇が詩人の魂によって照射された書として注目していただきたい。中正敏詩集『夢の代金』がVAN書房よりVANシリーズ⑯として出る。A6判、詩10篇だが中味は濃密。このシリーズは定価はほとんど290円だが、今どきちょっとマネのできないことである。武子和幸詩集『懸崖の風景』がまもなく無限社より刊行される。

 本号編集同人 前号通り