31号(1983年4月)

●現代詩の原点

 

▼本誌では最近、羽生康二のエッセイにもみられるように<日本の自由詩の夜明け>つまり<現代詩の原点>への見直しが少しずつ始まっているが、今年は島崎藤村『若菜集』刊行(1897年)から数えて87年目である。1945年、敗戦の年を境として、戦後詩が重ねた時間は、あと5年もすれば『若菜集』からの全時間の半分ということになる。口語自由詩の歴史は浅い。しかし、敗戦の年を境として、その前年の草創期にかかわった詩人たちと、後半の戦後詩人たちとの間に、詩に対する基本的な姿勢を含めて何かしら大きな差異のようなものが、次第に明白になりつつあるよに思われる。それは一口にいって、前衛精神(未知への探求、冒険精神)の違いのようにも思えるが、いまここでこの問題には触れない。いずれにせよ、現に自由詩にたずさわり、これから先も書き、発表するであろう人は、自らが好むと好まざるとにかかわらず、この歴史の一端を背負わされていることになる。そしてまた、このことについて一切の自己弁明は通用しないであろう。なぜなら、書き、発表したものは残り、それ自らがすべてを語っているからである。戦前と戦後の詩人の精神と、営為の差異を明確に判別するのは、これから10年、20年先の読者にまかせるとしても、詩を書く人はこのあたりで一度、藤村や石川啄木、萩原朔太郎、高村光太郎、宮沢賢治らの精神と営為を、また、大正から昭和初期にかけての数々の同人詩誌、『赤と黒』や『詩と詩論』等に集まった詩人たちのエスプリやパッションを、それらが現在の自分たちとどう違うかを見ておくのも無駄ではないと思われる。

 戦後といっても一通りではない。はじめの10年間位は何かがあった。それから30年近くたったいま、当時の同人詩誌や、当時ほとんど唯一の商業詩誌であった『詩学』をとり出して、昨今の詩誌と並べてみるがいい。その差は歴然たるものがある。その差は何であろうか。そして、詩とは何であろうか。その答はいかなる評者の言をまつまでもなく、そこに並んだ詩誌自らが完璧に答えている。

 ”いまの時代は、後世、文学の空白時代といわれるかもしれない”。

 小説家の安岡章太郎氏はあるところでこういっているが、もしも現在の自由詩もそうであるならば、それにたずさわる私達の営為はどんな意味を持つことになるであろうか。結論からいって、詩はいかなる時代にも、人間がいるところ必ずあるもの、と私は思っている。詩はやはり、単なる技法の問題ではない。それを書く人間の問題に帰着するのではなかろうか。

 『舟』本号の編集を終えて、『舟』はいま口語自由詩発生の原点に深くかかわってきていると思う。原点に立つこと、それは決してむずかしいことではない。それは結局、詩を書く姿勢の問題に過ぎないからである。『舟』は創刊以来8年目にして、当初志向していたこと(「レアリテの会発足の覚え書」)がようやく実現し始めてきたという感じがする。

 本号より頁数がふえ、読んで下さる方も大変だと思うが、どうか一度全部お読みになって、率直なご意見を聞かせていただければありがたい。

▼1890年生、1908年渡米、日本へホイットマンを紹介した草分け的存在として、有島武郎、白鳥省吾、富田砕花らと共に忘れることのできない長沼重隆氏が、昨年9月、92歳で逝去された。経田佑介の個人詩誌『blue jacket』20/21号が、長沼氏の詩人としての一面に焦点を当てて追悼特集を組んでいる。新潟・三条市で多忙な教職の身にありながら、短時日でよくこれほど充実したものができたと驚嘆する。経田にとって長沼氏の存在がいかに大きく、大切なものであったかが、あらためてよくわかる。同号にはは「中上哲夫、経田佑介往復書簡9(最終回)」も掲載されているが、これは詩人による真摯で有益な連載往復書簡であった。また、中上氏の詩3篇もいい。ともかく、この一冊を貫いているものは、経田の詩への純粋な熱意であろう(A5、42頁、500円)。

▼お気づきの方もあろうが、本誌は昨年4月号から目次の<詩>をはずして単に<作品>としている。自分の作品を自分で詩と名付けようが名付けまいが、そんなことはとるに足りないどうでもいいことかもしれないが、詩精神が内在していないものはいかに詩の形態を整えていようと詩とは呼びたくないし、逆に従来の詩の概念を破ったいかなる、形態のものであろうとそこに詩精神が充満しているものならば、ちゅうちょなく詩と呼びたい。同人誌は原稿で稿料を稼ぐ場所ではないので、いくらでも試行錯誤、冒険のできるのが一大特徴である。そして、新しい詩はこの行為のなかでしか本来生まれ得ないものであるという点が重要である。一例をあげるならば、本誌に連載中の小紋章子「ベクトル覚書」を、小説という分野に、詩文学の分野に部類分けすることは重要ではない。それが書かれ、そこにあるということが重要なのだ。そこに何があるかということが重要なのだ。そこに何があるかということが重要なのだ。考えてみると、私の作品が<詩>であるか否かを自らが考慮するということは、きわめてナンセンスなことであり、その判断はいっさい読者に任せたいと思うのである。

▼一色真理「ニヒリストの光芒」が今号で完結した。1970年代を生きた一人の詩人に焦点を当てて書かれたものであるが、同じ頃72年から76年にかけて書かれた一人の詩人の長詩篇が今号から連載される。梶原礼之「内面航海」がそれである。

▼扶川茂の『ゆうこ』が、松田優子ちゃんの木版画を入れて、立原由布子氏の編集・装幀により、扶川方・そばえの会から刊行された。小学低学年のゆうこと担任の先生の交流の詩で、きわめて平易だが、背景に扶川の詩体験の厚みの容易ならざるものがみえる。凡庸ではない(B5変型、102頁、1800円)。

▼表紙画谷口幸三郎個展が3月22日~4月2日、お茶の水画廊で開かれた。”全版画家に見てもらいたい”と彼はいったが、小さく様式化して商業主義に堕した大方の版画家はこの自由で生命溢れる存在の前では沈黙せざるを得まい。札幌では2月20日、札幌10回木村雅信作品リサイタルが札幌市教育文化会館小ホールで開かれた。昨秋スペイン、イタリア旅行で生まれた新作と、10年にわたるアイヌの素材による舞曲シリーズの最終回、ぜひ聞きたかったが残念。他同人活動状況は割愛。

▼本誌の創刊同人中正敏が次号で、関根隆、渡辺みえこの両氏が今号で退会することになった。中、関根氏は会に不満があっての退会ではなく本人の事情による。3氏とも惜しまれるが、そのエスプリは私たちのなかでは絶対に消えないであろう。酒井文麿氏は本人の事情でしばらく休会。新しく指田一、内田公洋氏が入会。指田氏は『亜』の編集・発行人。内田氏は以前、中野文学学校で中氏の研究サークルに参加したことあり。共に30代。

(西)

 本号編集同人(35号まで)相沢史郎 遠山信男 西一知

32号(1983年7月)

●商業詩誌の現状

 

▼おびただしい詩誌、詩書の出版である。本誌も含めてその殆どは少部数の自費出版である。商業出版には営利追及の目的があるが、ここにはそれがない。商業出版にも、以前は公器性を重んじ、利益を度外視してでも新しい文学を世に出すために情熱を傾けたものもあるが、今日、既成の権威におもねらず、売れもしない明日のための詩に賭ける勇気と見識をもつ出版社は稀となった。わずかに零細出版には、このような志を抱いて悪戦苦闘のところもあるが、その初心を貫くことは現代の熾烈な出版流通事情のもとでは至難となってきている。

 文学に携わる著名な出版社が、全国の自費出版詩誌、詩書を丹念に読んで、そこから真の現代詩(単なるコピー、風俗詩にあらず)を探し出し、それに光をあてようとすることは、たとえ有能な編集者がいたとしても、営利優先の今日の管理体制のもとでは、期待することがすでに無理というものである。流通の世界における詩人の知名度と、真に読まれるべき詩とは、もはや何の関係もなくなってしまった。そのような今日の時代を反映したものが、たとえば、中央公論社の『海』<特集 現代詩1983年>である。

 Ⅰ、ⅡがあってⅢはまだ続くかもしれないが、ここには今日の日本を生きる詩人の苦闘の痕跡がない。A・ランボォもいった”感性の惑乱をとおして思想に至る道筋”のような詩人の営為、方向性といったものがみえない。単なる知的テクノクラート、コピーライターもどきのテクニック誇示、感性への惑溺と風俗、古典への逃避(旧かなに何の意味があるか)、舌たらずの饒舌etc、これがなんで<現代詩>であり、<1983年>なのかといいたい。<現代詩>とは、現代を生きる人間の倫理、哲学、思想いっさいを担った人間の証であり、<1983年>とは、二度とない1983年のはずである。百歩譲って『海』の<現代詩1983年>を認めたとしても、その作品の大半は<現代詩>の生まれる真摯な現場からは遊離した、<1983年>における悪しき詩のサンプルとしかいい得ないものである。

 <現代詩>の生まれる現場はどこにあるのか。それは、流通の世界における詩人の知名度や営利とはかかわりなく、自己表出を目的としたおびただしい自己犠牲のうえになされる全国の自費刊行詩誌、詩書の世界である。これは、コピーライターの属するような注文生産の世界ではない。サービス業ではなく、百姓や漁師と同じ一次産業に属する世界である。もとより、この世界の詩がすべてよいというわけではない。この世界の前近代的、閉鎖的一面を知らないわけでもない。しかし、たった今でもこの現場で、流通から締め出された人目につかないこの現場で、ひそかに、真に<現代詩>といえるものが生みだされていることを私は知っている。私がいいたいことは、少なくともこの現場を見ないでは<現代詩>は語れないということだ。

▼同人詩誌『原始林』責任者前川知賢氏編著『一〇一人の現代詩人』(昭森社、2000円)は、右のような今日の出版状況を考えるとき、まさに画期的な意味をもつものといえよう。前文によればこの本は、本来公共性をもつべきジャーナリズムが利益追求に堕し、作品の質の低下や、閉鎖的なIQ高官本位のセクショナリズムなど、目にあまるものが多々あることを憂えて、より公正、より客観的たらんと欲してこれをなしたということである。

 1979年から約4年間に手元に集まった約2000冊の詩集から、それらが消滅し去ることに義憤を感じ、”何よりも作品の価値本位ということが第一義”との観点からこの書を編まれたという。画期的な点は、著者が今日の多くの文筆家の如く商業出版に屈してではなく、逆にそれに抗してこれを企図したところにある。

 一般に同人誌の陥りがちな仲間意識を超え、<現代詩>の生まれる現場を広く見渡して、そこに、哲学者、倫理学者、詩人であるところの前川氏の詩に対する高い見識が具体的に示されたものが本書であるといえようが、詩人の選定のうえでなお若干の不満が残らないわけではない。たとえば”H氏賞またはH氏賞相当の作品多々あり”とあるが、H氏賞以上の作品は実際にはざらにあるわけで、そういう規準などもここでは無視して欲しかった。だが、このような書物は誰が作っても不満は残る。それを恐れず実践された氏の勇気に敬意を覚える。なお、本書に『舟』旧、現同人が10名も選ばれていることに、大きな驚きと、喜びを感じる。

 前川氏によって示されたこのような試みは、公共性を失った営利本位の商業出版に委ねるのでなく、詩の現場の当事者によって大いになされたらいいと思う。商業出版、個人を問わず、いずれにしても単なる権威への追随、狭い仲間意識、プロパガンダ、趣味性といったものに寄りかかったものは永続した生命を保ち得ず、深い時代認識と、鋭い言語感覚に支えられたもののみが残るであろう。

 私たち<現代詩>の現場のものがいま必要とするものは、狭い仲間意識ではなく、今や商業出版が失った公共性ともいうべき意識であると思う。『舟』は、そのような開かれた意識をもって読者と共に詩を考えていきたい。

▼指田 一の住所を拠点とする同人誌『亜』は、若い詩人と画家の集団であるが、5号は誌上誌画展を組んでいる。B5、32頁、うち20頁誌画展。一言でいえば、詩にも画にも存在感があり意欲的で、単なるコピーライターやデザイナー次元のものではなく、はっきり詩人と画家がいてそれぞれが自己を主張し、火花を散らしているというものである。詩5人、画5人。仙石まことも同号より参加。詩画展を考える人は参考にされるとよい(500円)。名古屋市の日原正彦の『橄欖』は9号より新同人で第2次として出発し直した。新メンバーは大西美千代、『舟』同人の伊藤芳博、藍原 準(300円)。高知市の長尾 軫が個人詩誌『ササ』(SaSa スワヒリ語でまさに起ころうとしていること、現に起こっていること、あるいはたった今経験ずみのこと)を創刊した。A5、16頁(200円)。冬京太郎を中心とする『垂線』44号(200円)、羽生康二、槇子夫妻の『想像』20号(無料)も、ますます個性的に充実してきた。<現代詩>の現場というにふさわしいものといえよう。徳島県の扶川 茂発行『戯』15号(350円)、太田秀男発行『櫓』2号(350円)、青森県の千葉 茂編集『月刊メロス』4巻2号(350円)も地道に続いている。大河原巌らが寄る『鮫』、井元霧彦、日笠芙美子らが寄る『裸足』等も意欲的である。

 大家正志の10代詩篇『夏のスケッチ』(混沌社、500円)が出た。大家の秘密を解く鍵がここにあるといえよう。矢崎勝巳第3詩集『風紋の谷』(甲府市・柳正堂書店、1000円予定)が7月末刊行される。

▼刊行以来の同人一色真理が本人の理由により本号をもって退会する。”詩人は態度である”といった一色の言葉は永く我々のなかに記憶されるだろう。

(西)

33号(1983年10月)

●万人はみずからの内に

 

▼今年8月末の残暑は厳しかった。30日夕方、東京の熱気は沸き上がり、数分間だったが大粒の雨が街路をたたいた。その後すぐに日が射し、濡れた車道は黄金色に輝いた。それは、去って行く8月を忘れるな、と告げるかのようであった。31日午後、これを書いているいま、うす曇りの空の下でオオケタデの花がかすかに風に揺れている。8月はこうして今年も去って行くのだ。38年前の爆音も絶えたあの8月後半の静かな日々、唐黍畑と入道雲が、16歳の少年に生きてある生命の重さを教えてくれた。少年はその年、「パンセ」という詩を書いた。明日から9月に入る。あわただしい季節のなかで、それはまた忘れられるであろう。忘れるということもまたいい。8月は、いずれにしてもぼくの原点であることに変わりないからだ。

 最近聞いたある詩人と詩人の対話。

A「きみはいつも自分のことしか書いていないね?」

B「ああ、ぼくはいつも自分のためにしか書いていないよ」

A「ぼくは、万人のために書いているんだ」

 この話を聞いてぼくは思った。自分とは何か? 万人とは何か? と。

 結論からいおう。ぼくは、自分とは単なる自分ではなく、自分とは万人が棲むための一つの場所にしか過ぎない、と。そしてまた、ぼくにとって万人とは決してぼくの外にいるものではない、と。文学と芸術の伝達の秘密のいっさいが、実はこの単純な逆説のなかにあるのだということを、最近のプロ化した詩人の多くは見落としているのではあるまいかと思うことがしばしばある。

 ぼくは作る人、あなた方は食べる人という図式のなかで、いかに手際よく盛り付けられた作品も、読者に真の感動を呼び起こすことはできない。

 詩の普遍性とは、それが一人の詩人によって生きられたとき、一人の詩人の頭ではなく感性を通過したとき、はじめて作品に付与される性質のものである。ニュースキャスターの如き目でこの世の事象を見ている限り、その人の詩が普遍性を獲得することは絶対あり得ないのだ。真に万人に感動を与える詩を書こうと思うならば、その防弾ガラスのようなものに囲まれた安全地帯で喋ることをやめ、悪気流渦巻く街頭にまず無名の一人の人間として一歩足を踏み出すより他にないはずである。現代詩がいま失いつつあるものは、個の生の深い次元における苦悩と、発見であるといえよう。詩人がうかつに大衆といい、万人というとき、詩人が相対的に失っていくものは実は自分自身なのだということに、現代詩にたずさわるものは気付くべきなのだ。

 間もなく数十万部の詩の雑誌が登場するそうである。詩人の名前が電車の中吊り広告にも見られるようになるだろう。企業は採算がとれるとなれば何でもやるものである。これを単純に詩の隆盛と喜ぶわけにはいかない。この辺で、詩を書くものは、詩人とコピーライターがどう違うかをはっきり見定めておく必要があるように思われる。

▼『舟』同人参加の条件は厳しいが、参加してからは自由である。参加の条件は、現時点における作品の優劣、詩作歴などは二義的なもので、あくまでも詩人としての姿勢、未来への可能性を含む資質を重視する。冒険と発見、試行錯誤を恐れて、作品の優劣の評価に一喜一憂するところに現代詩の自由な、大きい発展はあり得ない。新しい表現は、新しい詩精神によってしか生まれない。『舟』はこれを重視する。従って、みずからに必要とあれば他誌への参加、退会、再入会も自由である。先輩、後輩などの序列もない。詩精神は風の如く自由であればよいのである。

 10号で参加した川上京子退会。将来もし共通の磁場があれば、ホウトウ娘の如く復帰することがあるかも知れない。

 今号、井上勝子、山下政博が復帰した。しばらく離れていて、あらためて共通の詩精神が確認されるということはすばらしいことではなかろうか。この間、山下には大阪より東京への移住という変化があった。井上は第2詩集『冬の夕日』(VAN書房 500円)をこの7月に上梓した。

 新たに今号より、伊丹悦子、今駒泰成両氏が仲間に加わった。伊丹悦子=1946年生。太田秀男らの『櫓』同人。今年5月、詩集『だまし絵』(徳島出版(株) 1800円)上梓。今駒泰成=1926年生。牧師。讃美歌詩篇が現在カトリック教会使用の『讃美歌第2篇』と『典礼聖歌』、今秋発行の『子供讃美歌』に収録される。現代詩は6年くらい前から習作。

▼なんば・みちこの第4詩集『アイガイオン』が火片発行所より、火片叢書26として発行された(2300円)。1980年秋のヨーロッパの旅から生まれた14篇を収録。平明な言葉でありながら、非常に確かな、洗練された詩法をここにみることができるであろう。

 レアリテ叢書11集は、野仲美弥子詩集『夜の魚』、12集は小紋章子詩集『BOO BOO 落下傘』で、共に11月中に刊行予定。この叢書で女性の詩集としては、9月のこたきこなみ詩集『キッチン・スキャンダル』に続くものであるが、両詩集とも、大きな注目を集めたこたき詩集にひけをとらない確かな個性を、原稿段階で感じた。現代詩はおもしろくないという定評があるが、それを覆すような、スリリングな詩集である。ご期待下さい。

▼今号エッセイ欄には、この8月札幌で開かれた第3回札幌音楽展プログラムの木村雅信の言葉と、京都「ギャラリー射手座」谷口幸三郎展案内パンフレットの西 一知の言葉を転載させていただいた。音楽や画の新しい、本来的なあり方、見方の一例がここに示されており、それは今日の詩の世界にも共通するものがあると思われたからである。なお、西編集の月刊誌『珈琲連邦』(『珈琲共和国』9月に改題)連載の「現代詩案内」は、全国で発行される主として自費刊行詩誌、詩集から毎号詩一篇、同人誌一冊を紹介してすでに60回を超すが、これも一般読書人に対する単なる詩の解説ではなく、詩の新しい、本来的なあり方、見方を問うものとして続けられている。購読希望は、〒156世田谷区松原1-37-20会田ビル 日珈販『珈琲連邦』係へ。定価80円〒60円、年間購読1500円(〒共)。

▼遠山信男の詩朗読は各地で行われているが、今度『詩人会議』の常任運営委員を受け、研究部長となった。

 井元霧彦、日笠芙美子の属する岡山市『裸足』(発行・坂本明子)の詩活動は盛んだが、同人の朗読会が10月16日午後2時~4時、同市オリエント美術館地下講堂で開かれる。

 8月、石岡市香丸資料館で開かれた「詩と絵の待合室」(責任者・硲杏子)には黒羽由紀子の詩も参加していたが、詩は全部統一した和紙に書かれて台に載せられ、絵はその上の壁面にという素朴な展示だったが、けれん味のない、すがすがしいものだった。

 相沢史郎が9月15日、経田佑介が19日、それぞれヨーロッパへ旅経つ。

(西)

34号(1984年1月)

●なぜ、同人誌なのか?

 

▼1984年新年号を編集しながら、新しい年の方向をじっと見定める。それは単なる文学や芸術、あるいは風俗の方向ではない。政治、経済、教育、文化、私たちの生活がどうなるかという方向である。私たちの人間関係や意識、感性、思考まで、微妙な変化を受けるであろう。詩は、それらのものと無縁ではない。詩を書く私は好むと好まざるとにかかわらず100%そのなかに叩き込まれてあるからだ。ここでもう一度、「レアリテの会の発足の覚え書」を読み返していただきたい(53頁)。これはお読みになってわかるように、はじめは同人の間での覚え書であったから本誌には発表しなかった。しかし、『舟』が戦後30年以降に向かっての新しい文学運動である以上、その理念は明確にすべきであるとの考えから4号詩上ではじめて発表された。

 数年前、同人誌の責任者が十数人集まる機会があったが、その際、同人誌にマニフェストは不必要であるとの意見が圧倒的多数であったが、私はなんらの文学的理念も、理想も持たない同人誌はナンセンスだと思っているし、たとえそれが最終的に個々の作品に具現されるものであるにせよ、同人誌の立場と方向は明確にされておいてよいと思っている。

 ”なぜ同人誌なのか? いや、同人誌でなければならないのか?”

 9年前の「覚え書」にあるこのみずからへの問いかけは、いまはっきり解答を示しておかなければならないように思われる。同人誌に対する恐ろしく古めかしい考え方が、いまだに大手を振ってまかり通っているからである。元日本現代詩人会会長の安西 均氏は、『詩学』400号記念特集の座談会で次のようにおっしゃっている。

安西 (前略)同人雑誌というのはせいぜい十人か十数人でやるものだと思うんですよ。

吉野 僕にもそういう感じありますね。

(中略)

北村 同人雑誌が、いまおっしゃる通りで十人前後がやり、しかも大体20歳前後から始めて24~25歳でやめちゃうものだというふうに、僕は思っているわけですよね。

 吉野とは吉野 弘氏で、北村とは北村太郎氏であり、ともに詩の教室の先生をやっておられる方である。会話はこの後もつづくが、要は同人誌は仲間同士の相互研鑽、詩壇への登竜門であるということらしい。安西氏らの若かりし頃は、商業誌も新人発掘に熱心だったし、そういう考え方もあったかも知れないが、詩の教室もどきの技術本位の詩界のためにではなく、詩の原点をいま一度問い直し、直接一般読者にアピールするために商業誌にも拮抗し得る、一つの主張とパワーを持った同人誌のあり方が検討されてもよい時代がきていると思うが、いかがであろうか。社会の事情も出版界も30年前とは一変した。詩壇といっても広い社会からみれば小さな村落である。同人誌のあり方一つとっても、その辺から詩への考え方が変わってくるはずである。

▼レアリテ叢書11集・野仲美弥子詩集『夜の魚』、同12集・小紋章子詩集『BOO BOO 落下傘』が、11月ほぼ同時にでき上がった。共に相当に個性的な詩集だと思う。詩の個性とは、単なる修辞の次元にあるのではなく、作者のものの見方、感じ方のうちにあるものであるといえる。表現は、その個性に添って生まれる。詩を読むということは、逆にその表現のひだに作者の個の生の独自性を読むということであるはずである。両者が個性的であるというのは、このような生の独自性を孕んでいるということ、驚きと発見があるということを意味する。本叢書は単に巻数を誇示するものではなく、現代詩のあるべき姿を世に問おうとするかなり厳選されたものである。いずれも少数部、お早めに一読をおすすめする。

 日原正彦の新詩集『それぞれの雲』と『ゆれる葉』が2冊セットで近く七月堂より刊行される。『ゆれる葉』は連作詩篇。定価はセットで3000円の予定。これも現代詩に関心あるものは逸することのできぬ詩集となろう。

 木村雅信の82年秋、スペイン演奏旅行の際のエッセイは、一部分『舟』に掲載されたが、このほどその60のエッセイ全部と、その際生まれた作曲作品の楽譜が、札幌大谷短期大学紀要第17号『教員海外研修報告』で一冊にまとめられた。また、ヨーロッパでのスケッチ75点をおさめた『ヨーロッパ・スケッチ帖』(B4判)も自家版で一冊になった。ご覧になりたい方は著者宛お問い合わせを。

 会田鋼雄、針生鎮郎、小紋章子3人展が11月8~27日、市川市の絵画サロン・べるんで開かれたがなかなか充実したものであった。小紋章子らによる第8回女友達展は1月16~21日、銀座スルガ台画廊(572・2828)で開かれる。

 同人各地での活動も地道に重ねられた一年であった。羽生康二夫妻の『想像』、冬 京太郎らの『垂線』、長尾軫個人詩誌『ササ』、仙石まことも属する指田一の住所を発行所とるする詩画同人誌『亜』、藍原準、伊藤芳博を加えた日原正彦の『橄欖』、太田秀男も同人で伊丹悦子も作品を寄せている扶川茂発行の『戯』、吉賀章内氏発行の大河原巌が所属する『鮫』、坂本明子氏を中心に井元霧彦、日笠芙美子らが参加する『裸足』、吉賀清一氏を中心に千葉茂も加わる『月刊メロス』等、いずれも停滞しないエスプリを示してきたと思う。また、今度黒羽由紀子が参加した星野徹氏の『白亜紀』67号ではじまった鈴木満の<現代詩への提言ー詩はどこへ行くのかー>、月刊『詩人会議』の遠山信男の時評等、きびしい新年にどのような展開をみせるか。また『舟』の井奥行彦、大河原巌、なんば・みちこ、こたきこなみ、羽生康二、野仲美弥子ら参加の戦争に反対する詩人の会刊詩集『反戦のこえ』は10月、3集を迎えた。これも新しい年の活動が注目される。

▼本年も多くの詩誌、詩書、催し物のご案内が寄せられた。礼状も書かず失礼をすることが多いが、詩誌、詩書はすべて大切に保管し、同人にも希望者には貸し出して読まれるようにしている。新しい年のご発展を祈念し、御礼申し上げる。

▼今号より新同人2人を迎えた。

 松本高直 1953年生、明大仏分卒。詩集『理由のない季節に』(79年、紫陽社)。所属無し。東京在住。

 江部俊夫 1928年生、教員。高知県在住。個人誌『照葉樹』現在9号刊。高知県こども詩集『やまもも』編集委員。

 年齢においては親子ほどもちがう二人であるが、真摯さにおいて共通するものがあると思われる。ご注目いただきたい。

 13号より同人であった下垣美和子が本人の事情で退会する。また、関根紀美江、西晃弘は本人の事情で本号より休会。

(西)

35号(1984年4月)

●近・現代詩の見直しを

 

▼ヨアヒム・リンゲルナッツの『体操詩集』の見直しが、鈴木俊によって本号より始まった。この原本をいま手にとってみると、当時の時代精神が煮えたぎっているという感じがする。少なくとも、村野四郎の『体操詩集』とは違い過ぎる。この違いを単なる個性や好みの違いとして片づけたくない。ノイエ・ザハリヒカイトとは何であるか。すなわち、詩にとって思想とは、哲学とは何であるか、ということに思いを及ぼしたい。リンゲルナッツ=ヨーロッパ人と村野=日本人の美意識の差というようなものではなく、詩における時代の精神の問題としてこの同じ標題の二詩集を再検討することは、今日の詩のあり方を考えるうえでも積極的な意味をもつものと思う。

 詩をフォルムでとらえるか、精神としてとらえるかによって、日本の近・現代詩の歴史は大きく変わってくるであろう。たとえば、この半世紀間埋もれていた民衆詩派のひとり福田正夫の詩業が最近全一冊にまとめられたが、”稚拙である”として葬り去られていた民衆詩派の詩人たちに、表現はたとえまずくともどのような詩精神があったかを再度見直し、自由詩百年の歴史のなかにそれが有用であったかどうかを再検討してみることは、同時に現在の自分たちの詩が無駄ごとでないかどうかを逆照射することになるのではないかと思う。

 村野の詩業はいうに及ばず、春山行夫らの「詩と詩論」とその改題「文学」、佐藤惣之助らの「詩の家」、そこから生まれる「リアン」、また百田宗治らの「椎の木」などにかかわった詩人たちの詩業も、単なる形式上の観点からではなく、自由詩百年の詩運動のなかの精神のひとつのあらわれとして、すなわち、詩を単なる文学の問題としてではなく、明治以降の日本人の問題として、いま再度とらえ直してみる必要があるのではないか、そこからいま私たちが直面している現代詩の根源的問題もおのずから明白になってくるのではないか、と思われるのである。

 詩を狭い詩壇の視野でのみとらえてはならないことは、過去の詩人たちの詩業についてだけでなく、現在の私たちの詩についても同じである。何に向かって、どのような根拠で詩を書いているのか、それはつねに問い糺されねばならない。詩壇に閉ざされた、あるいはそれを志向する詩は、必ず技術偏重に陥る。大方の商業文芸誌が編纂する最近の年間代表詩や、投稿欄の入選作品、また、各種受賞作品などの大半は、ほとんど芸ごとの世界に堕しているといっていいであろう。戦後の詩人たちがいったい何をしてきたか、それを根底から見直してみると、この原因はおのずから明らかとなろう。

 フォルム=精神である。書かれた詩には、意味とは別にその人間のすべてが出ているはずである。この原則がつねに、誰にでもよくわかっているわけではない。わずかな観念がものの本質を見極めることを妨げている。

▼日原正彦や木村雅信らのエッセイは原則論だが、原則論ではなく「舟」の詩人たちはもっと時代の詩と切り結べという人もいる。しかし、戦後の詩評家は、朔太郎の『詩の原理』ほどの詩論ももたずにいきなり応用篇から出発している人が多い。各種批評をみても、批評の原則、モラルさえ欠いたものが多い。「舟」は、批評のまえにまず自己確立をといいたい。日原、木村らのエッセイには、その詩と同じように冒険、未知への探求があるのではないか。

 なお、冬京太郎と遠山信男が月刊「詩人会議」で詩誌評と時評をそれぞれ担当しているが、二人とも無私で、明確な視座をもってやっている。他誌のこの種の評と比較してみられるがよい。

 遠山、梶原礼之らの長篇詩、30歳を過ぎて宗教にのめり込んでいっている麦田穣、これらは詩の洗練のみを考える人たちには関心ないかもしれないが、「舟」は花や実よりもそれが育つ土壌のことを真剣に考えている。詩の巨木を思うとき、これらのことは決して無駄ごとではないと思うからだ。

▼冬京太郎第3詩集『他人抄』が昨年11月ベルデ出版企画から刊行された。平明なことばだが内容の深い詩集である(1300円)。

矢崎勝巳第3詩集『風紋の谷』が1月、甲府の㈱柳正堂書店より出版された。深く郷土に根ざした詩集となっている(1000円)。

 昨年暮れに刊行のレアリテ叢書第11集野仲美弥子詩集『夜の魚』と、12集小紋章子詩集『BOO BOO 落下傘』はいずれも非常に好評であった。13集木村雅信詩集『瑪瑙海岸』は3月刊行。真っ直ぐで、曇りない感性の詩に注目されたい。14集大河原巌詩集『自画像』は本誌とほぼ同じ頃に出る予定。戦後間もなく北川冬彦氏らの「時間」の有力メンバーとなって、一時期詩活動を離れ、詩集は59年の『牛』(氾濫社)以来これが2冊目である。戦後の詩精神のひとつがここに結実しているとみることもできよう。なお、大河原巌エッセイ集『現実を超える幻想・断章』も雄山閣出版㈱より5月刊行の予定。

 同人の詩集ではこの他に、相沢史郎方言詩集『血の冬』(朗読カセット付)が青磁社より5月に(1500円)、武田弘子の詩集『陸橋』の刊行も準備されている。

 大家正志の自宅発行所・書房ふたばより、2月、新季刊詩誌「水甕」が刊行された。同人8名中6名は同人誌ははじめてという。どのような発展をみせるか期待しよう。

▼2月26日夜、野仲美弥子詩集出版記念会が新宿のプチモンドで開かれ盛会であった。上林猷夫、西岡光秋、薩摩忠、青木はるみ氏らのお世話による。雪をついてご参集くださった方々にも感謝申し上げたい。

 冬京太郎詩集は、冬が属する「起点」同人鈴木初江、山岡範両氏の詩集とあわせ「起点」同人3詩集合同出版記念会として、3月20日、東京都教育会館で「祝う会」が開催された。

 木村雅信詩集を祝う集いは、札幌市のサロン「西の宮」で3月21日、バッハ生誕299年にちなみ、札幌現代音楽展メンバーらのお世話で開かれた。木村のピアノによるバッハのフーガ、自作演奏、自作詩朗読、壁面にはヨーロッパ演奏旅行の際のスケッチが並べられ、木村の詩と画と音楽の感があった。和田徹三氏ほかご参集の方々に感謝申し上げる。翌22日、同市教育文化会館で開催の第4回札幌現代音楽展は、木村をリーダーとする若手作曲家、演奏家によるものだったが、きわめて充実したもので、今後が期待される。

 小紋章子は第8回「女友達展」、第1回「三三九展」、「ベニシジミの会展」に画を出品。

 谷口幸三郎の意欲的な新作個展が4月2~14日、お茶の水画廊で開催予定。

▼札幌の澤口瞭氏が同人参加。1925年生。47年和田徹三氏を知る。49年北海道の詩誌「木星」同人となり現在に至る。

 斎藤直巳は、本人の事情でしばらく休会。

(西)