21号(1980年10月)

表紙画・谷口幸三郎

目次画・小紋章子


●血が沸き立っている

▼9月8日、校正を目前にしてこの後記を書いている。雲が北から南へはげしく飛び、ときどき強い雨脚が路面をたたきつけている。ふつうならこれで晴れるのだが、東京はきょう終日はだ寒く、けわしい空模様だ。夏から秋へ――、8月の終わりから9月の初めにかけてのこのわずかな期間は、いつもの年なら深く、はげしい心の高まりを覚えるものだが今年はさっぱりだ。それもそのはずで、8月20日以来青空らしいものが見えたのはわずか6日しかない。日暮れが早くなったことでわずかに季節の推移がわかるくらいのものだがこのようなときに、遠方から熱っぽい心を持った友が訪ねてきてくれたのはありがたかった。8月27日、新潟三条市から「どうしても会いたくなった。夏の締めくくりがつかないので出て来た」と経田佑介が現れた。一夜痛飲し、語り合い、翌日も帰りの午後の列車を一つ遅らせて、話に熱中した。「これで、夏の締めくくりができた」と目を輝かせて彼は帰った。同人雑誌をやっていてよかったと思うのは、このようなときだ。詩誌を出すのも、何かをやるのも大事なことだが、いかなることをやるにしても根底には人がある。よい仕事をしようと思えば燃えていなければならない。一見整ったものを作ってみても、根底に情熱がなければ空疎なものだ。それは人を動かすことはできない。同人誌において最も重要なものは、それにかかわっている人たちの情熱だと思う。理屈も技術も二の次だ。つまり、雑誌以前、作品以前の人間が重要だといえるだろう。

 この意味では、この夏いま―つ特記すべきことがあった。室戸岬測候所にいる麦田 穣の提案で、8月9日、10日の2日間、高知で同人会が開かれたことである。1ヵ月程前彼から電話があった。「高知ではまだ一度も同人会が開かれていない。開く必要があるのではないか」というのだ。「そう簡単にいわれても、高知までは旅費が大変だからなぁ」とぼく。「同人会を開くことに比べれば、そんなことは小さいことだ」と1953年生まれの彼。まもなく、大家正志から切符が送られてきた。行かないわけにはいかない。強い感動がぼくを襲った。「全同人はとてもムリだろうから、せめて関西の同人には呼びかけてみてくれ」とぼくはいった。9日(土)、集まったのは、高知の岡崎 功、大家正志、武田弘子、長尾 軫、徳島の扶川 茂、麦田 穣、岡山の井元霧彦、日笠芙美子、東京の西 一知、それに地元の同人詩誌「兆」の小松弘愛、「航」の大野 秀、増田耕三氏ら。とにかく高知同人会が開かれたのである。これも情熱の産物だ。帰京した13日の夜は、名古屋の日原正彦が岐阜の学生伊藤芳博を伴ってやってきた。高知の興奮醒めやらぬぼくは、その夜も空が白むまで、語り合い、時を忘れた。

7月19日、私学会館で行われた「光芒」の斎藤正敏氏らの呼びかけによる遠山信男第2詩集『樹木の酒』出版記念会にも熱っぽいものがあった(出席者52名)。

 話は飛ぶが、8月18日、木口木版の日和崎尊夫と「ポンピドゥ・センター/20世紀の美術」オープニング出席のため東京国立近代美術館を訪れた。カンディンスキー、グリス、マティス、ルオー、レジェ、プラック、ミロ、エルンスト、フォンタナ、ディビュッフェ、ポロック、アルプ、コルダー、マレヴィッチ、クレエ、ピカソ、ミショオ、ベルメール、マン・レイ、デュフィetc.青春時代ぼくの血を沸かせてくれた懐かしい名前がずらりと並んでいた。それらの前を歩きながら、ぼくは思わず隣の友につぶやいた。「日和崎君、やはり画は技術じゃないね、パッションだね」、「そうだ」と彼もすかさずいった。デュフィも、レジェも、フォンタナも、ポロックも輝いていた。血が沸き立っている、と思った。それがこちらの心を熱くした。50年前の彼らがぼくにいった。どの画の前に立っても、彼らは同じ言葉でぼくにしゃべりかけてきた。「<舟>は頑張れ、何も考えるな、自分のやりたいことをやれ、俺たちは見ているよ」と。しかしそれにしても彼らの時代はよかった。テレビもなかった、ジェット機も、コンピューターもなかった。パック詰めのブロイラーの鶏の卵もなかった。人間には個性があった。そして詩があり、画があった。今は、何と苦しい時代だろう——と思った。しかし、彼らをうらやんではいけない、彼らも血を流したのだ。あるとき、詩人Mはぼくにいった。「時代のせいにしてはいけない」と。やはり、詩は、芸術は情熱だ。生きようとする。ハッションだ。時代が闇に包まれれば包まれるほど、詩は輝きを増す。詩は、時代の炬火でなければならぬ。

▼高知で「航」を増田耕三氏らと出していた大家正志が、「航」は2号で止めてもっとハードな(社会的現象にも関わっていくような)雑誌をつくりたいという。橋本信博は同世代を中心に新しい詩誌を作りたいという。逆に、遠山信男は千葉詩人会議の会長その他を降りて自己に専念したいという。あらためて「匿名の焔」(第1詩集タイトル) に徹するということか。いずれの場合にも熱い火を感じる。8月には、松尾静明が禅の修行のため中国に入った。長沙からの絵ハガキには、今号彼のエッセイのタイトルの言葉が記されていた。10月から11月にかけては、なんば・みちこが文部省派遣でヨーロッパに行く。できれば詩の心をもって行きたいという。

 さまざまな個人的体験が詩の源泉となる。されば詩人はおのれの生活を充実する以外にない。詩を透かして人間が見える。人間が重要なのだ。詩人は立ち止まってはいけない。

▼今号から、平素注目する2詩人が加わった。

 佃 学 1938年香川県生まれ。詩集『時間の空』『不眠の草稿』『劇中劇』『共同墓地』『海景』、作品集『白図』(1980年)がある。現在、詩誌「邯鄲」の責任者。高松の十国 修、衣更着信氏らの「詩研究」の最も注目すべき同人の一人である。

 平田直行 1943年生まれ。今年5月に大阪の近文社より出された詩集『郵便夫の孤独』(価1000円)には、最近の現代詩にはまれなきびしい精神がみられる。ごく少部数の個人詩誌「半島」は、そのような姿勢に貫かれていたが、それを打ち切って「レアリテの会」に参加してきた。今号は原稿が間に合わなかったが、次号より期待されたい。

▼19号後記でふれた青森県の県内出版・芳賀清一氏は「月刊メロス」をエネルギッシュに刊行しているが、その8月号に遠山信男のエッセイ<詩の暗誦について>を引用し、“遠山氏のこの記述は日本の80年代の詩の方向を決定づけるくらいに強烈なものではないだろうか?”と述べている。しかり、ここには今日現代詩が失っている詩の根源の問題、われわれの生と文明に対する痛烈な批評が蔵されているからだ。いな、これは単なる批評にとどまらず、実践と蘇生への道筋が、おのれの体験をとおして語られ、示されているからだ。最近多くのエッセイが、テレビのスポーツ解説のごとき観を呈しているが、エッセイも詩と同じく、おのれの感受性をとおして血であがなわれたものでなければならぬはずだ。芳賀清一氏の「月刊メロス」に共鳴するのは、それが頭で編集されたものではなく、確かなおのれの感受性で編集されたものであるというこの一点にある。同様の個人詩誌として、九州・宮崎に本多 寿編集の「蛇の笛」があり、4月に4号が出ている。

 なお、10月第2火曜日14日午後6時~9時喫茶「ぽえむ」本八幡南口店で、遠山信男司会の詩朗読会が行われるが、当日は珍しいレコードも聞ける。坪内逍遥、与謝野晶子、北原白秋、斎藤茂吉、釈迢空、西條八十、堀口大学、室生犀星、萩原朔太郎らの自作朗読吹込みレコード。参加費(コーヒー付き)500円。総武線本八幡駅下車(南口)3分長崎屋斜向い、TELO473.34.9981。

▼レアリテの会同人の活動状況は、この紙面ではとても全部紹介しきれないが、一色真理の当面の執筆状況だけ記しておく。本誌の他に、「詩学」8~12月号<曠野派詩人論>、「日本読書新聞」8~12月号<詩時評>、「昴」9月号、「無限」43号、「博物記」6号、「アートトップ」、「月刊メロス」10月号、「葡萄」、「こどもの館」10月号に詩、「VIE通信」2号エッセイ<裸の王様>、「素敵な女性」10月号インタビューetc。

▼斎藤直巳詩集『風語帖』が9月、大阪のVAN書房より刊行された。B6変型判、70頁、価500円。内容は<風化・ニ十四番花信風>と<生類死文様>の各詩篇で、多く本誌に発表されたもの。この7月に書肆季節社より出された鈴木 漠詩集『投影風雅』とあわせ、少しずつ味読しているところだが、両者に共通して感じられるものは、時代の底を生き抜くしぶとさと、背骨の確かさである。漠氏は付記で“現在、風雅などを口にするのは、時代錯誤も甚しいだろうか”といわれるが、それは書く人によると思う。少なくともこの2詩集には、凡庸でないすぐれた感受性と、強い人間の意志力が感じられ、真の風雅の容易ならざるを覚えさせられる。

▼最近「リアン」の関係者、渡辺修三、高橋玄一郎氏らが亡くなられた。戦前の「詩と詩論」につながる系列の詩人たちは多く戦後に活躍しているが、「リアン」系の詩人にすぐれた詩人がいなかったわけではない。今号、西山克太郎氏を招待するゆえんである。作品を寄せられた氏に御礼申し上げる。 (西)

22号(1981年1月)

表紙画・谷口幸三郎

目次画・小紋章子


●みずからの内なる声に

▼この号を手にとられる方は新しい年を迎えているかもしれないが、今日は12月1日、今年も師走に入った。『舟』本号を印刷に入れ、『レアリテ叢書』第2集の装本を決め、校正を終え、ぼんやりとタバコをくゆらせながら音楽など聞いていると、この1年のさまざまなことが頭に浮かんでくる。そして、レアリテの会もいよいよ本番を迎えたなという感じがする。いっさいの計算を退け、ただみずからの内なる詩人の声に従ってやってきただけのことなのだが、この1年、会の内外の熱い支持と理解が急速に広まり、深まってきたことが感じられる。詩は、世俗的なさまざまの欲求を断念し、みずからを解き放ったところで自由に羽搏けるものかも知れない。詩は、孤独の中で生まれ、多くの人々の中で生きるものだ。来年も、何ものに気兼ねすることもなく、思いっきり自由にやっていきたいと思う。詩は、自由でなければならない。それがこの時代に、これだけの共感を呼んだとするならば、さらにきびしく自己を律していかなければならぬと、あらためて思う。

 この1年、多くの人にお手紙やご本をいただきながら、返礼も出せず失礼ばかりしていたことが心苦しく、深く謝しながらお詫び申し上げたい。

▼「レアリテ叢書』第1集が、日原正彦詩集『一本の木』によってようやく実現した。そして、去る11月22日午後、市ヶ谷の私学会館でささやかな出版記念会が開かれた。関西、東北方面からも出席された方が多く、この会を真摯かつ熱気あるものたらしめた。その一端を伝えるために、会の締めくくりに行われた著者の挨拶を本誌に掲載することにした。3時間ほどの会で、アルコールも相当入っていたが、このときは会場は水を打ったように静まりかえっていたのが印象的だった。

 第2集の長尾 軫詩集『瑞(みず)』は12月20日発売予定。長尾も日原も30歳代前半、新しい時代を拓く詩にご注目いただきたい。

 日原の装本は茶が基調だったが、長尾詩集はややブルーがかった赤が基調である。なお本叢書は、若い人が電車の中でも気軽に開ける軽装本だが、チャチなものではない。詩集は愛蔵に耐えられるものでなければならないことを念頭に置いて作られている。初版数百の少部数。書店にない場合は、レアリテの会宛送料250円を添えて直接申し込まれたい。

▼相沢史郎の別年度ラジオ、テレビを通じての創作発表や対談は、3月中旬、NHK綜合テレビ(東北・朝7時20分、'79年12月11日の再放送)「話題の広場」で、なぜ方言詩を書くのかを対談。6月28日には、NHKラジオ第一(東北・10時20分~11時)で、ラジオ・ドラマ「河童だ!」。また、11月1日には、NHKラジオ第一(全国・10時20分~11時)で、ラジオ構成「泣き唄幻想紀行」。

 ことばとサウンドの集い≪世界は夜を待っている≫(東京・五反田希望ホール、12月12日~14日、原人舎企画)では、相沢史郎、こたき こなみ、斎藤直巳の作品が朗読され、本号所載の相沢史郎モノドラマ「さいはての女」(独演・溝口順子、演出•浜 憲治)が上演された。

▼表紙画の谷口幸三郎木版コログラフ個展が81年初春、高知アートギャラリーと東京お茶の水画廊で開かれる予定。『舟』表紙画に参加して1年余、版画というよりタブロオに近い力作を50点余も生み出した。『舟』に刺激されて、というが、毎号変貌する彼の画を見ていると、この間『舟』でもっとも成長したのは、実は表紙画ではないかという気さえする。本誌において、画は最初から付属品ではないと思っている。詩も、画も何かの意味を伝えるためのものというより、人間の存在そのものという点では全く同じだからである。この20代の画家の清新な仕事に注目されたい。

▼この1年間続いた中 正敏『詩学』<詩書批判>が終わった。批評は自己の言葉で語るべきこと、また、批評はプライベートなものをさしはさんではならないという、批評の原点を示されたように思う。新年度は星野 徹氏にバトンタッチの由、期待される。

▼先号で参加の平田直行が、本号より作品発表を開始した。また、昨年、芳賀章内氏らときわめて注目すべき同人詩誌『鮫』を創刊した大河原巌氏が、今号より『舟』に乗り込んできた。余談ながら、この『鮫』とか、今秋鎗田清太郎氏らによって創刊された戦争体験世代による同人詩誌『火牛』には、不屈の詩精神といったものがみなぎっている。この火を消してはならないであろう。

▼本誌発売元の冬至書房新社の提携会社(株)教育出版センター(住所同じ)より、12月10日月刊『レトリカ』が創刊された。巻頭言で山口 正氏は、「レトリックの本当の意味は、『アルス・レトリカ』の著者アリストテレスが言っているように、また、二十世紀のイギリス思想界を代表する芸術評論家ハーバート・リードが喝破したように、説得術である。一般に訳されているような単なる修辞法ではなく、まして弁論術などではない。」と述べているが、『レトリカ』は、レトリックの真義をただし、本来の正当な意味を賦与するために生まれたものということができよう。第1頁に現代詩が掲載されている出版社PR誌はまだあまりないと思う。企画・編集に西(一)も参加。1部300円。年間購読料3600円(送料共)。

▼書店事情、郵便事情は小出版物にとっては前例がないほどきびしいものとなってきた。かつて、P・エリュアールは“詩は一人から一人へ”といったが、このマスコミ汎濫の時代にも、ぼくらはこの詩の伝達の原点を覚悟しなければならないかも知れない。

 それでは皆さん、よいお年を。 (西)

 

23号(1981年4月)

●口語自由詩の歴史は長い

▼今号より、次の7氏が同人として新しく加わった。作品をご覧になればわかるように、それぞれの内包するもの、志向するものには異なるものがある。『舟』は、この個の多様性を尊重したい。自由詩には規範はなく、表現は各自のものだからである。しかし、曇りない感受性と、厳しい詩精神において7氏には共通するものがあるように思われる。

 『舟』創刊以来、一貫して頭の中にあるものは、口語自由詩の原点は何か、ということである。かつて戦時下、和歌旋風が吹き荒れた。朝に夕に、「君が代」、「海行かば」の三十一文字である。個は抑圧され、口語自由詩は凋落した。それから36年、自由詩は咲き競い、いまや爛熟期にあるといわれる。たしかに、詩の雑誌や詩集がいまほど豊富な時はあるまい。しかしこの間、日本の口語自由詩が盤石の、不動の根を持つことができただろうか。

 口語自由詩発生より、その歴史はまだわずか百年足らずである。一つの芸術が、三世や四世でピークを迎えるということがはたして可能だろうか。詩を単なる文芸というレベルで考えることはやめよう。自由詩は個の確立と不可分の関係にある。一個の人間の存在とその自由を考えるとき、日本の口語自由詩はまだ発掘の段階にあるようにさえ思える。

 詩の地平は、人間の地平と同じく無限の可能性を孕んでいる。『舟』の原位置は、藤村や啄木、独歩らと同じ地点、または、そこからさして大きな隔たりはないように思われる。私は、あらためてこの口語自由詩の萌芽、揺籃期の彼らの精神に学びたいと思う。私たちもいまだ現代詩の萌芽期の、試行錯誤の真っただ中にいるからだ。新しい同人7氏のもたらすものに期待したい。

 太田秀男 徳島県在住。昨年第1詩集『陸封魚』刊。扶川 茂の『戯』同人。48年生。

 小松重子 東京在住。笠井 叡の天使館に一時所属、74年自作自演演劇公演。詩は所属無し。52年生。

 関根紀美江 東京在住。昨年第1詩集『純と粋』刊。詩歴2年、所属なし。54年生。

 千葉 茂 青森県在住。昨年末、第1詩集『新生』刊、本年3月末第2詩集『球体』刊予定。48年生。

 東国三郎 東京在住。昨年、第1詩集『君のいる風景』刊。46年生。

 野仲美弥子 東京在住。一昨年末、第1詩集『家事』刊。所属なし。

 松下義博 千葉県在住。冬京太郎の筆名で詩集『座席』、『場所』刊。個人詩誌『垂線』刊行中。44年生。

▼今号は、インドネシア詩人アイプ・ロシディ詩集『太陽の子』全訳を、印堂哲郎氏よりいただいた。氏は、詩集『時の風洞』によっても知られるすぐれた詩人であるが、インドネシアの詩人との交流深く、彼らに“兄弟”を意味する“ソダラ”と呼ばれ、昨夏『ヌサンタラ詩抄―インドネシアの現代詩の前衛たち』という訳詩集を上梓している。今号はまた、中 正敏によってタイの詩人ジット・プミサクが紹介された。大手出版社による『世界文学全集』などにはまず組み込まれることはないであろうこれら東南アジアの詩人達。しかし、文学はDNPに比例はしない。人間がいるところ至るところに詩はある、生きた証としての詩が。そういえば2、3年前、印堂氏とはじめて飲み明かしたとき、彼がいった言葉を思い出す。「日本の詩はいまや三次産業になってしまった。サービス業だ。しかし、詩は本来一次産業であるはずだ」。

▼「レアリテ叢書」は、昨年11月日原正彦詩集『一本の木』、12月長尾 軫詩集『端』を出したが、4月上旬、第3詩集として酒井文麿詩集『レバノン断章』が出る予定。酒井文麿は77年から78年にかけて私家版詩集『空の窪地で』、『はしる』、『落石』を出しているが、昨年末新装で2版を出した(B6判、価各500円)。あわせ読まれるとよい。「レアリテ叢書」は好評で、第4集以降、井元霧彦、こたきこなみ、天野たむるらの詩集が予定されている。なお、「レアリテ叢書」とは別に出版企画も検討中なので、原稿準備中の人はご相談ください。

 岡山県総社市で詩誌『火片』を出している井奥行彦の火片発行所で、この1月から「火片詩人選書」が刊行されはじめ、すでに第3集まで出している。3集なんば・みちこ詩集『メメント モリ』は、本誌に発表された作品も多いが、作品はわずか10篇ながら一冊にまとまると、この詩人のなみなみならぬ力量が読者を圧倒する。A5判、50頁前後、価各900円。

 橋本信博、仙石まことらが中心となって進めていた新しい同人誌『円』創刊号が、2月中旬発行された。かつて本誌に表紙画を寄せていた向井隆豊氏も同人参加、表紙画、そして詩も書いている。スタートの緊張した雰囲気がいい。A5判、32頁、価500円。

 『舟』同人が各地で発行する詩誌、『テラス』(広島・松尾静明)、『邯鄲』(東京・佃 学)、『異神』(東京・一色真理)、『戯』(徳島・扶川 茂)、『個人的なるもの』(高知・大家正志)、また、編集にたずさわる詩誌『裸足』(岡山・井元霧彦)、『鮫』(東京・大河原 巌)等は意欲的に出ている。その他にも、『舟』同人はさまざまな場所で発表している者が多い。願わくば、それらのものにも目をとおしてほしい。『舟』はひとつのセクトではない。自由で、熱くたぎる感性と、エスプリの出会いの場であり、練磨の場である。

▼表紙画谷口幸三郎個展が、2月高知アートギャラリーで、3月東京・お茶の水画廊で開かれた。また、目次画小紋章子個展が6月15日~27日、ギャラリー葉(銀座1の6の7、☎567・3698、日曜休)で開かれる。

 

24号(1981年7月)

24号(1981年7月)

●個の生の復権ということ

▼敗戦後36度目の夏、日米同盟の時代に入った。レアリテの会にとっては6度目の夏である。1975年8月15日、ぎらつく太陽の下で季刊同人誌誌『舟』は、戦後30年以降に向かってその第一歩を踏み出した。『舟』創刊に先立つ「レアリテの会発足の覚え書」を、本号に再掲する。1975年の予感は1980年代においてまさしく顕在化した。これは、“個の意識およびメンタリティの最も深い次元における「人間蘇生」の最前衛としての苦悩”と詩人が真正面から向き合わねばならない時代が到来したことを意味する。

 同人誌にマニフェストの必要はない」との発言が、さる同人誌誌責任者の集まりで二、三あった。「レアリテの会発足の覚え書」もマニフェストとみられていたようである。たしかに、いかなる宣言を掲げようと、そのグループの実体はその作品ないし活字にされたものがすべてを表しているはずで、それが志向しているものが何であるかは、そこに表されたものによって読者が判断すべきものである、と私も思っ。この「覚え書」が、現代詩の状況に対して一つの批判、主張を含んでいるという意味で、マニフェストとみられるのは致し方ないが、本来これは「覚え書」という言葉も示すように、グループ内部への自戒の意味が強い。

 「レアリテの会発足の覚え書」には、美学、思想への根源的問いかけはある。しかし、―つの美学、―つのイデオロギーの主張はない。第一、“個の生の復権”ということが、どうして宣言となり得よう。この「覚え書」は、“これは発足にあたって、私たちが私たち自身に向かって発した鋭い問いでもある”と結語にもあるように、詩の発生の根源をたずね、そこに身を置くことをみずからに課したものに過ぎないものであった。

 詩作の自由と、多様さは、平時には問題にすらならないものであろう。しかし、教科書改定問題などにみられる思想統制の時代には、最重要課題となってくるものである。なぜなら、詩の生命は、画一化と拘束の反対、つまり多様と自由のなかにしかないからだ。

 詩作の自由と多様、すなわち精神の自由と多様は、個の自由と多様、思想と美学の自由と多様を裏付けとする。“一つの人間的規範、文学的規範の復活に、私たちは目を光らせる必要がある。それは、詩人の自由な精神を抑圧または圧殺するものであるからだ”と「覚え書」には述べているが、これはただ一グループの内輪のこととして、発表すべきほどのことではないものであろうか? 私は、詩人の連帯を求める。自由な精神の連帯を求める。何度もいうが、『舟』は―つの派閥ではない。グループを越えて<詩>と、<個の生>の擁護のために、自由な精神は連帯しなければならない時代がやってきているように思える。6年前の「覚え書」を、あえて臆面もなく再掲するゆえんである。率直なご批判、ご叱声を仰ぎたい。

▼『舟』は20号以来、毎号<招待>欄を設けているが、先号の印堂哲郎氏による現代インドネシア詩人の紹介は好評だった。今号は猿渡重達氏の「吉満義彦と季刊『創造』」をいただくことができた。氏は1949年生まれだから30歳を少し超したばかりだが、20

代においてすでにシャルル・ペギーの大著「希望の賛歌―第二徳の秘義の大門』邦訳の労作がある。また、四季派の夭折詩人野村英夫に関する著作も幾つかある。聖マリアンナ医科大学、上智大学講師で、フランシス・ジャムの研究家。本稿は(西への返書)という形をとっているので、いつこのような構想が生まれたかについてちょっと触れておきたい。もう3年ほども前のことだろうか、深夜、作家のY氏から電話がかかって「いますぐ、ぜひ紹介したい人がいる」といって一緒に現れたのが、他ならぬ猿渡重達氏であった。話はいきなり詩と宗教の問題、シャルル・ペギー、ジャック・マリタン、そして私の手元にあった吉満義彦の本へと発展していった。夜が白むまでの火のような数時間、この緊張と充実のひとときを私は忘れることができない。

“日本の戦後哲学は、吉満の死によってドイッ哲学に占められたという見方もできよう”、“現代詩衰弱の最大の原因は、詩と、宗教と哲学が分離してしまったところにあるのではないか?”。

 このようなその夜の話の中から、本稿の漠たる構想は生まれたが、その後猿渡氏が吉満の季刊『創造』の復刻を考えていると聞いて、これは決定的となった。吉満没後36年、カトリックの人たちのみならず、詩にたずさわる人たちにも吉満を知る人はきわめて少ない。猿渡氏に深く感謝すると共に、本稿が今日の詩の根源的な問題を考える人たちに何らかの光のようなものを与えることができたならばたいへんありがたい。

▼日原正彦の「みなもとのことば」は今号でひとまず終わった。このような詩の原理的な問題を追求することによって、自己自身の確固としたアルス・ポエチカを持つことが、戦後ことに最近はまれなことになってしまった。大方の詩の批評は、基本がなくいきなり応用篇に入ったようなものである。自己自身の詩学、原理がないから、結局は借り物の言葉で料理することになるが、初歩的な読み違え、無責任な発言が横行している。料理の手さばきだけがうまいということで、詩の本質、核心をついた批評ができるわけでは決してない。詩を風俗、ファッションに堕さしめてしまってはいけない。

 「レアリテの会発足の覚え書」の柱となるものは“個の生の復権”だが、“個の生の復権”は何よりも“個の生の充実と深化”を抜きにしては考えられないことだと思う。詩を生む個の生は、単純に制度的に守られていればそれでよいというものではあるまい。かつて、“この国にはまだ自由が与えられているから、なにも事あらためて個の生の復権などといわなくてもいいだろう”という人があった。しかしその人は、個の生の尊厳と権利意識をどの程度深く持っているであろうか。“与えられた自由”がなくなれば、そのときその人は“個の生の復権”を主張するだろうか。“与えられた自由”の享受の中で詩を書いている人たちは、それを取り払われたとき一体どう生きていくつもりなのか。ただ波の間に間に流されていくだけなのだろうか。しかし、おのれの生も持たずになんの詩かといいたい。そのような詩が、どうして人の心を深くとらえ、癒すことができよう。

 いかなる時代が来ようとも、詩人は自己の生の充実と深化をなおざりにすべきではないであろう。いや、巨大な個の生は、いかなる嵐にも吹き倒されることはない。詩人における個の生の復権は、このようなものを目指すべきではなかろうか。詩人の生と、自由は、厳密にいって誰かに与えられ、保証されたものではなく、みずからが培い、獲得したものでなくてはならないはずである。“個の生の復権”は何ものかに依存してあり得るものではなく、“個の生の充実と深化”によって、いかなる抑圧にも耐え得る強い個となってはじめてあり得るものだといえるかもしれない。この意味で、哲学と、倫理を含まぬ詩など詩とはいえないとい切ってもいだろう。『舟』に掲載のエッセイは、それぞれにテーマは異なっていても、すべてこの問題をはらんでいることにご注目いただきたい。

▼6月9日から13日まで、FM東京の現代文明論講座(20時48分から約10分間)「方言と民衆」を、相沢史郎が放送した。連続すれば約50分、要約すると<ことば>を標準語的<知>のことばだけにするなということ、知の伝達にだけ終始して、生そのものから遊離して最大公約数となったことばに、方言的<からだ>のことばの血液を流入せよということで、詩の書き手にとっても耳傾けるべきものであった。次号に放送のままを掲載する予定。なお、10月1日から3日まで、西ドイツのボッフム大学で行われる国際シンポジウムで、相沢が「日本現代詩における戦後の方向」を発表、ヨーロッパの日本研究者や詩人たちと討議する予定。相沢の手紙によると“いま戦後詩の総括にとりかっています。吉本隆明の影が巨大にのしかかって、第三期の詩人たちの稀薄なこと。学生の中にも『舟』の読者が現れてきました”とある。“稀薄なこと”という言葉がどきりとさせる。なぜか? その根源を洗ってみる必要があろう。

▼昨年8月、日中友好仏教協会主催で中国に禅の源流地を訪ねた松尾静明が、10年前に旅したシルクロードについて「日本人の魂の源流『シルクロード』―玄装三蔵の足跡をたどって」という題で『ひろしまの観光』70号に書いている。地方のミニコミ誌で知る人は少ないと思うので紹介したい(発行所・広島市中区上織町2の34みずま工房定価300円)。また、松尾が地元新聞に書いている「原爆詩にみる『体験』―峠三吉・原民喜・木下夕爾」は、その着目するところがきわめてユニークで、全文をこに転載させてもらいたい思いにかられるが、残念ながら今号にはスペースがない。読みたい方は、コピー代と郵送料を添えて筆者に申し込まれるとよいだろう。

▼鈴木満の詩集『吉野』(国文社 2000円)、扶川茂の『教室詩集』(そばえの会 1500円)が出た。仲間ぼめはしたくないが、共に平易な日本語ながら詩の背景となるものが実に大きく、深く、たんたんとした中に一語のゆるみもない。現代詩の衰弱がいわれる中で、このような詩集が現れることは―つの救いとさえいえるだろう(実は、最近の評者は口を開けば<現代詩の衰弱>というが、つぶさにみればよい詩集は決して少なくはない。無私無欲な目で無私無欲な詩をみようとしないだけのことだといえよう)。言葉の肉体、言葉の力というものが実は何であるかが、この2詩集を読めばわかるはずである。

 昨年11月スタートした「レアリテ叢書」は第4集井元霧彦詩集『わたしたちの夜がとうとう来ました』が6月に、第5集河井洋(天野たむる改名)詩集『近代の意味』が7月初めに出る予定である。この2詩集によって、「レアリテ叢書」の特色がかなり鮮明になってきたと思う。ぜひご一読願いたい。第6集以降は、関根隆、佃学、こたきこなみ、木村雅信の詩集、また、同人外初参加として九州『赤道』同人のみえのふみあき詩集等が予定に入っている。

▼なお、この機会にぜひ触れておきたいことは、最近の零細出版物の悪条件である。書店は本の洪水の如き観があるが、よくみれば悪書が良書を駆逐する趨勢が感じられる。詩書など物のかずではない。地方の小さな書店では、詩書を手に入れることは至難である。しかし、手をこまねいているわけにはいかない。『舟』、『レアリテ叢書』は取次店をとおして<委託販売>(出来た本をとにかく一度は書店に出す)方式ではなく、<注文販売>(読者が書店に注文することによってはじめて本が動く)方式によっている。もちろん大都会のごく限られた店には、発売元から直接常備で委託しているが、とにかく読者が近くの書店に行って“『舟』がほしいから置いてくれ”と頼む以外にない。注文すればまだ現状では本が動く。読者が本屋にゆさぶりを掛ける、そうして本の流れをよくすることを考えなければ、零細な詩書出版社など数年をまたずほとんどつぶれてしまうであろう。

 それかまた、数人でもよい<読書グループ>を作って本屋と結ぶか、あるいは出版社と直接結ぶか、いずれにしても良心的出版社を見殺しにしないために、読者が結束して動くべき段階に入ったと思われる。

▼本誌目次画の小紋章子氏の久々の個展が、6月15~27日銀座のギャラリー葉企画で開かれた。本誌目次画の原画も含む小品が主であったが、無意味なこけおどかしのイメージが氾濫する大作展とは全く別次元で、絵画の何であるかをよく示し得た好展覧会であった。なお、7月27日から2週間、本誌目次画にも参加いただいた井上敏男銅版画展が銀座4丁目英国屋4階のギャラリーサロン・ド・ボナで開かれる予定。(西)

 

 

25号(1981年10月)

●勇気づけられる出会い

▼8月も終わった。誰もいない海辺に光があふれ、季節が静かに、しかし実に劇的に移行するのがわかる、この8月末から9月初めにかけての1旬か2旬が、ぼくは好きだ。さまざまなものに想いをめぐらす。8月9日には岡山市で『裸足』の坂本明子さんのご好意で井元霧彦詩集『わたしたちの夜がとうとう来ました』出版記念会が開かれた。『裸足』の方たち、『黄薔薇』の永瀬清子さんにはこれで二度目、『蘭』『R』の高垣憲正氏ご夫妻にははじめて、名古屋からは日原正彦もやってきた。深く、詩の本質に迫る、しかも非常に個性的な発言が多く、帰りの新幹線のなかで「これほど充実した詩の会合はじめてだ」と日原をしていわしめたほどのものがあった。「東京の詩人はおおむね雑誌、岡山の詩人は単行本を読んでるというような違いじゃないかね」とぱくは皮肉った。もちろん、これはいちがいにいえないかも知れない。しかし、北海道もそうなのだ。少なくとも札幌に一人いる。岡山から帰ると早々札幌の木村雅信から原稿と一緒にもう終わった『札幌第

8回・木村雅信作品演奏会』(5月20日、札幌市教育文化会館)プログラムが送られてきた。そのなかの作曲家自身によるノートは、これはもう単なる音楽会の挨拶などというものではなく、ほぼ完全な詩論といえるものではないかと思わせられた。詩人の苛烈なエスプリが感じられるこの一文を、少々長いが全部掲げることにする。

 「私にとって、詩は本源の課題であるので、それゆえに中也など好きでもなく、歌曲にしたといってもそれは機会を得て労作したまでである。手仕事、それが始まりでありすべてなのだ。ギュヴィックは、もっとも私の心に適っている。<報告>という詩の中で、『ぼくは見た。指物師が正しい形を与えるのを』。<岩>という詩の中で、『見世物は、かれらの前面にあるのではなく、かれらの内面にある』。そこでは、『在る』ということが幾たびも問い直される。実際、ただ在るというのではなく、有り様が問題なのである。実在の感覚とでもいおうか。そして、石がそこにあるように、私はここにあり、同じように作品もそこに置かれている。意図などない。

 私にとってこの半年の間で重要だったと思われることといえば、M海岸を訪ねて璃瑶や化石の収集を始めたこと。グルニエの『孤島』『地中海の瞑想』を読んで抜き書きをしたこと。印度更紗の古い版木を見つけたこと。岡部昌生の成果を知ったこと。『ルードウィヒ』を2度観たこと。それくらいのものである。地学の辞典では数行ほどの璃瑞でも、形態・色合・文様で分類して四十種ほどになる。オパールが混じっていて、それはワイングラスに半分にもなった。グルニエは、かつて読んだ中で最高の喜びを呉れた書物だ。かれは書いている。『時間とは、一人の男が浜辺の端から端へとめぐること』。これら稀有にして豊饒な、私をつねに勇気づける出逢いはかけがえのないもので、ほとんど凡ゆる人間関係を空しくする。私の全生活は、まぎれもなく実在するもの、との出逢いにだけ向けられる。行動が全的で横溢したものであるには、世間との関わり方も考え直さなくてはならず、目に触れるものすべてを現実だとしておつきあいする必要はなく、自分にとって必然なものだけを現実とする。(この考え方は、華厳経典にある唯心縁起という説に似通っている。)強くあるものことを強く念うほどに、自分はここに顕れる。これはそのまま詩を見ることである。詩を書くということは、出逢いのうちに見てとったリアリティと、それを受けとめた自分の内にひき起こされ生成したリアリティ(おそらく同一のもの)を、できる限り正確に把みとり伝達可能な言葉の形式にすることである。従って、まさに<詩>を書くのであって、書いたら詩になったというものではない。幸いなことに私の音楽の書き方も、ようやくそのほかの生活の仕様に合わさろうとしてきている。これからも、果樹にサボタージュが無いと同じように、誰に食われるとも考えることなしに赤い実を落としたい。それを見て誰かが新しい法則を発見するかも知れない。『動いているのは旗なのか、またはたして風なのか』。

 一九八一・五・十二 木村雅信」

 詩にかぎらずすべての作品は発見の産物にほかならないともいえるであろう。ポオやアポリネールもいったように、詩は<驚異>であり<発見>なのだ。「果樹にサボタージュが無いと同じように、誰に食われるとも考えることなしに」ひとり驚異と発見に向かって旅する者こそ、僕は真正の詩人と考えたい。東京にもそのような詩人がいないわけではない。9月初めに開かれた『藤富保男素描展』がそれを証明している。藤富氏はそのプログラムの末尾で「人とつき合わない方法を教えてくれる人が詩人である」といっている。この素描展は詩人FuJITOMIの内面の広大さをよく見せてくれるものであった。

▼いつか『暦象』の志村辰夫氏とコーヒーを飲んでいるとき、「服部伸六がモロッコにいるうちに一度おそってみよう」という話があったが、これは氏が帰られたので実現しなかった。その頃から、服部伸六氏には一度なにか書いていただきたいと思っていた。それが今度実現した。8月半ば、渡欧寸前の多忙な時間をさいて寄せられた「詩が発生する場所」がそれである。感謝したい。氏は第1次『新領土』に参加。詩集に『服部伸六詩集』(宝文館出版刊)他。訳書にプルトン=エリュアール著『処女懐胎』(思潮社)、共訳に『ヒクメット詩集』『アラゴン選集』(飯塚書店)。著書に『黒人売買の歴史』(たいまつ社)等がある。

▼今号より次の四氏が同人に参加した。

 羽生康二 羽生慎子氏と二人誌『想像』を刊行、「石牟礼道子論」を連載中。『想像』はA5、8頁の小冊子ながら、生活とポエジイの密度が濃く、詩人の生き方において教えられるところが多い。横浜市在住。

 鈴木 俊 千葉県『光茫』所属。晩年のリルケと詩による往復書簡を交わした現存のドイッ女流詩人エリカ・ミテラーをウィーンにたずね、このほど訳詩集『愛の呼びかけ―エリカ・ミテラー詩集』を私家版で出す。これはミテラーとリルケの往復書簡詩(1924~26年)が主になっている。千葉市在住。

 中本耕治 仙石まことをとおして『舟』を知る。詩集に上井草こうじの名で私家版『流氷の花』あり。1948年生。岩国市在住。

 藍原 準 新日本文学会の日本文学校に在籍中(チューター・菅原克巳氏)。1958年生。東京在住。

▼レアリテ叢書第6集は関根隆第2詩集『東洋のアニマ』。この『舟』より一足先に出るはず。いわゆる修辞学のシュルレアリストが多いなかで、彼は真正のシュルレアリストである。岡山県総社市の火片発行所では、先のなんば・みちこ詩集『メメント モリ』につづいて、井奥行彦詩集『紫あげは』が7月、B5変型の豪華な形で発行された(2300円)。前詩集より17年ぶり。幼少年期、戦時体験が感覚的に現在に生きている詩集である。青森県で昨年末第1詩集『新生』、本来3月『球体』を著した千葉茂は、同じ県内出版で9月第3詩集『晩夏』刊行予定。また、芳賀清一氏の『月刊メロス』編集も引き受け、同県で活発な詩活動を展開中。千葉県の遠山信男の詩のエネルギーは驚異的なものだが、9月6日、一葉記念館で『村上昭夫の詩と風土―死の凝視と宇宙感覚』の講演を行った。久々に出た新潟県の経田佑介発行『blue jacket』、仙台の原田勇男発行『ありうむ』、東京の佃学発行『邯鄲』ほか各地同人の活動状況にもご注目いただきたい。   (西)