16号(1979年7月)

表紙画・向井隆豊

目次画・ALFRED ROSSI


●曇りのない感性を

▼『舟』16号。季刊、4年を経ていまようやく本番を迎えたという感じである。4年前、私たちは、詩を書くという行為を、言葉の単なる美学のためではなく、「個の意識およびメンタリティの最も深い次元における<人間蘇生>の最前衛としての苦悩」を負ったものとして、つまり、現代において詩を書くことは、深く個の尊厳にかかわる営為なのだという自覚のもとに、レアリテの会を作り、『舟』を発足させた(4号「舟とレアリテの会発足についてのメモ」、12、13号にも再録、参照)。『舟』がここで本番を迎えたということは、それが軌道に乗ったとか、内容が充実したとか、多くの共鳴者、支持者を得たとか、単にそういうことではない。

 この4年間、私たちは多くのものを見てきた。いまがどのような時代であるかも深く見ているつもりである。現代の詩人がいかに衰弱しているか、そしてまた、その一方ではげしく目覚め、燃えている詩人がいないわけではないことも見えてきた。一言でいうならば、詩を書くことの重さを年ごとに感じてきたということである。私たちの『舟』が中 正敏の苦悩の手紙を抱え込んできたことの意味は大きいと、あらためて思う。スランプや、マンネリに陥る暇は全くなかった。詩のパースペクティヴは無限である。本番とは、苦悩が闘いの時代を迎えたことであるといってもいい。

 私たちがこれから詩を書いていくためには、人間と、時代に対する限りなく深い洞察力が必要となろう。闇夜に進路をあやまたないためには、ここでも必要なものは、他でもない私たちが本来的に持っているはずの何ものにも曇らされることのない感受性であろう。生命的なものに対する愛と、パッションであろう。さまざまな意識が、進路をあやまたしめる。私たちのうちなる火が、私たちをあやまたずに導いてくれることを!

 詩は、深く生の讃歌であるがゆえに、詩人は苦しまねばならぬときも、闘わねばならぬときもあるのだ。詩は、孤独のなかで生まれる。人間の生の営みも、また…。しかし、孤独のなかで、人はなんと自由で、なんと深く愛することができるだろう。連帯することができるだろう。『舟』の同人、また、『舟』に関心を寄せてくださる方たちとの連帯は、さらに深く、今後とも本物でありたい。

 「なぜ、同人誌なのか?」(前記メモ)、かつて私たちが発した問いには、私たちのこれからの行為がそのまま解答となるであろう。

▼本号に上田敏雄氏から貴重なマニフェストが寄せられたのは、偶然ではないと思っている。1927年に「日本におけるシュルレアリスムの宣言」を起草されてから52年、なお「NEO-FUTURISM MANIFESTO」を草稿されるエスプリの激烈な活火山に、詩人の生き方の基本的な姿勢を教えられるように思う。『舟』は同人誌であるが、上田氏は同人ではない。盟友であり、エスプリの大先達である。印刷費まで添えてのご寄稿に深く感謝申しあげる。

▼今号はかなりの増頁で、しかも、詩、エッセイとも相当充実したものになったと思うが、新しく加わった人たちが『舟』に新しいエレメントを注ぎ込んでいることにも注目していただきたい。越 正昭、尾中 利光は共に22歳で大学在学中。西 晃弘24歳。既成の詩にとらわれない自由で、純一な魂とポエジイを追い求めてほしい。松尾静明は先頃詩集『沙漠Ⅱ』(詩人集団・同時代人の会刊)を、松下和夫は詩集『星を着る—スポーツ刺繍—』(ボトム社刊)を上梓した。松尾静明の目と言葉に対するきびしさは知る人ぞ知るであるが、松下和夫の言葉に対する節度も、言葉にかかわる者にとっては見習うべきところがあるように思う。ご両人とも詩歴は長いがこのきびしさは、ポエジイに対する謙虚さ、生きる姿勢とも深くかかわっていると思う。この美しい日本語の2詩集は、単なるレトリックの修練によってのみ生まれたものではないという点に注目したい。

▼本号目次に仲間として画を寄せてくださったALFRED ROSSI氏に感謝する。1942年、ウィーン生。ウィーン国立美大卒、現在東京芸大研究留学生として来日、同大学院版画科に在学中。

▼同人、本誌関係画家の展覧会が相次いだ。小紋章子=4月、銀座ギャラリー創風企画選抜6人展に出品。川上京子=5月、日比谷画廊「ゆうらめ美術会展」出品。井上敏男=5月、福島市工レガンス・ギャラリーで菅野仁詩集『どろんこ抄』原画展。日和崎尊夫=5月、銀座養清堂画廊「版画3人展」に黒崎彰、船坂芳助と共に出品。本誌表紙画関係では、笹岡信彦、向井隆豊が安井賞展に、また、向井隆豊は4月銀座望月画廊の第3回七会展に本誌14号原画その他出品。斎鹿逸郎=5~6月、お茶の水画廊で個展、近作6点だが180x180の和紙に挑んだ鉛筆画は、広大な原野をまさに耕すという迫力が感じられた。なお、本号印刷上がりに間に合うかどうか、6月19~30日池袋サンシャインシティ・アルパ2Fのりゅう画廊で東京芸大版画研究室大学院卒業生「PRINT SHOW '79」開催、前号目次画の谷口幸三郎と、本号目次画のALFRED ROSSIも参加しているのでご覧いただきたい。本誌校正中、表紙画に参加いただいた山下菊二氏の作品展案内が届いた。6月18~27日、大手町画廊。

▼矢崎勝巳の山高の生活に現代の人間の失ったものを探ろうとする『佛沢・血色(あけいろ)たんぼぼ』が6月末レアリテの会より刊行される。著者の第一詩集。A5判、17篇収録。定価未定。

▼千葉詩人会議第2回ポエム・ジャンボリーが喫茶「ぽえむ」本八幡南口店で6月12日夜開催。遠山信男司会で橋本信博、西 一知、西 晃弘が参加。市民サイドのなごやかな、自由な雰囲気の詩の朗読会であった。(西)

 

17号(1979年10月)

表紙画・谷口幸三郎

目次画・井上敏男


●言葉のない世界に耳を

▼「葬儀 広島県呉市出身で当地方に長年居住していた松本嘉太郎(七九歳)の葬儀は、故人に身寄りのない関係上、友人M.F氏が喪主代理となって、去る十三日午後二時よりマーテン葬儀社に於て、柴田開教使によって営まれた。……故人は誕生日にあたる八月八日夜、自宅に於て急死を遂げたのであるが、広島同志会はじめ数人の友人宛に遺書があった(スタクトン)」(北米毎日新聞・八月十六日)。この八月、サンフランシスコに一カ月ばかり滞在している間に読んだ新聞の中で、最も衝撃を受けた記事の一つ。アメリカ西海岸は日系人が多い。東京にいる東北人が、上野や東京北部に沢山群がるように、日本に近いサンフランシスコに日系人が群がる。日系人の養老院もある。逢か日本を望むゴールデン・ゲートは、帰るに帰れぬ日系人の〈涙の橋〉 だという。日本語を忘れてしまったというモロズミさん・イケダさんは労働者、浮草だけどアメリカには自由があるという。彼らの眼に、いじいじしない大らかな縄文的狩猟性をみた。いま、カリフォルニヤは乾燥期、雨ひとつなく赤い山と野の連続、僅かに見える緑は、人間が人工的につくったもの。その赤く乾燥した山峡に、樹齢二千年をこえる巨木の群が、紺碧の空を刺し貫いている。

 もっと確かな存在を探りたい。詩なぞはその次の次だ。(相沢記)

▼「確かな存在を…、詩なぞはその次の次だ」と相沢は書いている。中 正敏は、この夏ある詩人の集会で、「詩は技術であり、遊びだ」という意味の主張に対して、「詩は事実から出発しなければならない」といった。このあたりに、レアリテの会が抱えている根源的問題があると思う。

 言葉が支配する世界と、事実の世界とは全く別のものであるということを、少なくとも詩人であるならば知る必要があろう。言葉の世界を信じ、言葉の秩序に従って生きるかぎり人は安穏だが、事実の世界は混沌として、沸騰し、そういう人たちを寄せつけないし、また、あえてそういう地帯に近づかないで仮の生(言葉の支配する世界における生)を送っても、ご当人がそれでよければいいというものかも知れない。だが、詩人が言葉の支配する世界に安住していていいわけがない。言葉に未だ支配されない奇怪な事実の面貌、あるいは、事物の石のような沈黙からひそかにもれる声を聴き出そうとする者こそ詩人ではあるまいか。現代詩、現代芸術における恣意的なイメージの汎濫は、事実を逃避した人間の世界には起きるべくして起きた現象といえようが、そこには極度に衰弱した人間の姿が見えるのみである。相沢の指摘も、中の発言も、このことに触れていると思える。一色のいう「荒野の中で」ということも、現代の人間蘇生に触れたものだと思う。詩以前、文学以前、芸術以前の人間の問題がいまや最大の問題といえるだろう。さらにいえば、人間は言葉の支配する世界で一見安穏に守られているように見えるが、本当は人間の生も事実の世界に属するものなのだといっておきたい。

▼室戸測候所で毎日空と海を相手に暮らす麦田 穣が長い沈黙を破って先号から爆発的な詩を書いている。今号ではまた、久しく沈黙していた酒井文麿、斎藤直巳、天野たむるが同時に健在ぶりを示した。酒井の詩は、石油戦争ただ中の中近東での収穫で、テレビや地図を眺めてできたものではない。やはり事実から発した詩である。

 「新詩人」同人、福島県いわき市でひっそりと良質の詩を書く鈴木八重子氏が仲間に加わった。詩集『天の少女たち』『絵に描いた町』は一読をおすすめしたい。

▼一色真理『純粋病』、中正敏詩集『続・小さな悲願』、仙石まこと詩集『終章』が刊行された。一色、中の詩集(一色の本には詩集という文字が完全に抹殺されているが)には本誌掲載の作品もかなり収録されているので説明の必要はないと思う。

 『純粋病』詩学社刊、B6変型、92頁、作品37篇、箱入り、価1500円。

 『続・小さな悲願』詩学社刊、A5、123頁、作品30篇、箱入り、価2000円。

 仙石まこと詩集『終章』は、第1詩集『生まれる時の遺書』からおちこぼれた作品で、11年前、26歳のときの作品集。その時代と、その時代を生きた感受性が時間を超えて驚くほどフレッシュになまなましく伝わってくる記念すべき詩集といえるかも知れない。風鐸舎刊、A5、48頁、作品16篇、価500円。

 なお、前号予告の矢崎勝巳第1詩集『佛沢・血色たんぽぽ』はやや遅れたが刊行された。価1000円。

 吉田ひろ子の生まれてはじめて描いたという油絵(60号)がこの秋の主体展公募に入選した。こういう自由な挑み方が詩人にあってもおもしろいと思う。

▼表紙画は本号から若い木版画家谷口幸三郎氏が参加してくださることになった。今号は517x450mmの木版コログラフ。氏は、「画は抽象ではない、日常だ」という。氏の画の力は、イメージではなく事実に触発されたものからくるものであろう。

 14号以来表紙画で仲間として参加くださった向井隆豊氏に厚く御礼申し上げる。

 もうほとんどレアリテの会の同人といってもいい銅版画家井上敏男氏だが、今号では締切り間際の依頼にもかかわらず渾身の画を目次に寄せられた。感謝。

 『舟』は、詩と他の芸術の出会う場所でもある。創刊以来、すぐれた現代画家との交流が次第に深まってきているのはうれしいことである。

▼千葉詩人会議第3回ポエム・ジャンボリーは喫茶「ぽえむ」本八幡南口店で10月9日午後6:30~9:00開催、遠山信男司会で朗読に西一知らも参加の予定。参加費500円(コーヒー付き)。

 

18号(1980年1月)

表紙画・谷口幸三郎

目次画・ALFRED ROSSI


●時間は各人のなかを流れる

▼「詩人は同時に文明批評家でなければならない——」。これは、『荒地』に属する詩人たちの言葉である。トインビーがいた。エリオットがいた。H・リードがいた。30歳のA氏は60歳になった。30年——、この間何があったか。時間は、各人の中を一様には流れない。この〈時間〉は何であろうか。

 1950年から1980年へ。わずかな意識と、意志。なんとあいまいな生。だが、もう一度目覚めさせよう。ぼくらの感性と、情熱を。文明批評家であるよりもまず生きることだ。そして、見ることだ、自らの目で。

▼『舟』のメンバーは、『舟』だけでなく、さまざまな場所で詩活動を展開しているけれど、仙台の原田勇男が同じ仙台の若い詩人高村 創と佐々木洋一の3人で年3回刊の同人詩誌『ありうむ』を創刊した。A5判、28頁、価400円、3人の詩とエッセイが自由にくったくなく収められている。原田勇男の『炎の樹』につづく第3詩集『火の奥』が沖積舎から2月刊行予定で進行中。

 福島の菅野 仁の『蒼群』はエッセイ活動に力点を置き、頁数もふえ充実してきた。12月中に刊行予定の第10号には『舟』の経田佑介、西 一知もエッセイで参加している。西のエッセイは「同人詩誌のあり方」というテーマで、主として『舟』のあり方を例証にとって書いている。

 岡山の『裸足』に井元霧彦らと拠る日笠芙美子が詩集『樹・夜の腕に』(詩の会・裸足刊、価1000円)を上梓した。原初的な感覚がきらめき溢れる今日稀な詩集といえよう。『裸足』主催で1月6日、岡山市で出版記念会が開かれる予定。『舟』からは井元霧彦、井奥行彦、なんば・みちこ、西一知らが参加予定。

 遠山信男を中心とする千葉詩人会議は、毎月1回珈琲専門店「ぽえむ」本八幡南口店で詩研究会を開いているが、12月8日(土)PM6~9は<詩と無意識>をテーマに、1月8日(火)は<詩と生活>をテーマに行う予定。会費100円、参加自由。なお、同店の詩朗読会第4回『ポエム・ジャンボリー』は2月頃行う予定。市民サイドの朗読会で、参加自由。

 劇団東演企画「詩とJAZZと…悪路王が街にやってきた」が、下北沢の「パラータ」で12月1、2日開催されたが、相沢史郎の詩劇『悪路王』のプロローグから「バレデェン峠」が東北現地の人によって東北方言で朗読された。

 一色真理は、日本現代詩人会の11月の現代詩ゼミナールで「ある友の死にふれて」と題する講演を行った。

 西 一知は、一行詩を標傍する名古屋の池原魚眠洞氏の『視界』に「人間の尊厳と詩」と題するエッセイを発表。同誌1月号か2月号に掲載される予定。

 中 正敏詩集『続・小さな悲願』出版記念会が本誌印刷中の12月15日夜、新宿駅ビルの「プチモンド」で開かれる予定。詩学社で3冊も詩集を出しながらまだ一度もこの種の会を持たない中 正敏に、せめて今度の詩集を機会にと発起人小海永二、嵯峨信之、菅原克巳、中桐雅夫、西 一知、長谷川龍生らが説得して開かれることになったもの。

▼表紙画谷口幸三郎の木版コログラフはきわめて好評。目次画ALFRED ROSSIはこの夏、ウィーンヘ帰る。16号につづいて18号、ありがとう。

▼本号、大家正志が復帰、生原央子(渡辺みえ子改名)が参加した。

▼前号から『舟』の発売元が冬至書房新社となり、全国主要書店、大学生協等にかなり出回るようになった。書店にない場合でも、注文すればほとんどの書店で取り寄せられる。冬至書房新社のご熱意に感謝する。(西)

 

19号(1980年4月)

表紙画・谷口幸三郎

目次画・中野洋一


●「舟」は自身の発見の場

▼サンフランシスコの街角で、仲間のアメリカ人たちと立ち話をしていたら、東洋人の男が一人、荷物を持って向こうからじっと私を見つめていた。あまり私のことばかり見ているので、何となく気にしていると、その男はおずおずと私に近づいてきて、「すんません、アンサン日本人やろか?」と関西弁で話しかけてきた。そうですと言ったら、「空港は、どない行くんやろか?」と聞いてきた。そしたら、アメリカ人の一人が「オッサン 関西や?」と聞き返したもんだから、その日本人はびっくり、しばらく言葉もでなかった。やがて空港へ行くバス・ストップを教えてもらった彼は、後をふり返り、ふり返り去っていったが、「達者でや、オッサン」、そのアメリカ人が大きな声でまた叫びかけた。▼ソ連の大学の先生と話していたら、その先生は私に、「おまえは…」とか「おまえたちは…」という言葉を連発した。彼とは年もそんなに違わないし、一宿一飯の世話になったこともない。日本では、そういう言葉は目下の者にしか使わないし、決していい言葉ではないと教えたら、ムッとした顔をして話さなくなった。そんなことは知っている筈だ。だったらだ。……。

▼海外に行っても、生まれた土地の言葉を使う関西の男。日本語を、方言さえももろに憶えているアメリカ人。おまえという言葉を発するソ連人。私はアメリカかぶれでもないし、ソ連バンザイでもない。言葉に対する国民性が気になるのだ。言葉こそ、生きることの住み家なのだから。(相沢記)

▼1980年3月10日、数日ぐずついた天気があがり快晴、北西の風が強い。もうまぎれもなく春だ。『舟』19号印刷出稿ぎりぎりのところでこの原稿を書いているが、考えてみると、もう5年目のまっただ中だ。先日『詩学』編集部から、思いもかけぬ“『舟』創刊のころ、エッセイ風にお願いします”とのお誘いをいただいたが、突然のことで“『舟』はまだ何ほどのことも為しておらず、むしろこれからで、頭が後の方を向いてくれないので、今回はご勘弁を…”とお断わり申しあげた。『舟』には創刊以来ひとつの方向と姿勢がないわけではないが、編集という面からみれば、ただの一回も特集プランをたてたわけでもなく、原稿締切り日に自然発生的に集まってきた原稿を、ただ並べて出すというだけのもので、怠惰なことこの上なく、立派なことをいえた柄ではないが、そして、詩壇の公器である『詩学』の紙面を『舟』の記事で汚すほどの資格がないのは当然のことだが、ここでひとつだけいわせていただくとすれば、この編集者の怠惰、自然発生的ということは、商業誌ではない同人誌だからできる特権のひとつだということである。

 同人が、頭を上げてひとつの方向を目指すというのも立派なことである。否、それは必要なことでもある。しかし、その前に、詩人は自己の生に没頭しきらねばならぬ。人に見せるためではなく、人を納得させるためではなく、自己自身を裏切らぬ作品を書くことが先決である。『舟』に論客がいないわけではない。だが、『舟』は何よりもまず詩人の集団である。詩作品がなくて、何の詩誌ぞといいたい。評論ばやりの時代だが、作品は血の通った作者の分身のはずである。お互いもっと作品を、自己自身の感性で(頭につめ込まれた知識ではなく)じっくりみつめ合おうではないか。『舟』は、一人々々の詩人が赤裸々におのれをみつめ、自身を発見できる場、啓発し合える場であればよいと思っている。編集者が何もしなくとも、そこにはおのずから集団に固有の方向と、姿勢が生まれてくるであろう。

 ともあれ、『舟』は何よりも作品にウエイトをかけてきた。これはしかし、作品の洗練に心掛けてきたということではない。真の詩人ならば、絶えざる創造はまた常に絶えざる破壊を伴うということも知っているはずだからである。重要なのは、そこが常に最初の出発点であり、フレッシュであるということであろう。『舟』にそれがなくなれば、ぼくはまっ先に退会したい。スリルがあるから、ここまでつづいたともいえるのである。作品は沈黙している、作者の生命を宿して。作品にウエイトをかけるということは、人間にウエイトをかけるということに他ならない。

▼同人詩書刊行と出版記念会

 詩画集『ポントス』●詩菅野 仁、画加藤雅晴(蒼群社刊、頒価1000円)が昨年末刊行された。しょうしゃな造本で、内容は高度、シャレていて、翔んでいる。菅野 仁の一面を知るうえで必読の本といえる。細い毛筆の毛先の一本で描いたという加藤雅晴の画もおもしろく、何の構えもてらいもないが、詩画集としても最近出色といえるであろう。

 遠山信男第2詩集『樹木の酒』(青磁社刊、1500円)が2月中旬刊行された。第1詩集『匿名の焰』上梓後、干葉詩人会議を中心にきわめてエネルギッシュな詩活動を展開しているが、詩作も多い。第2詩集は、第1詩集以後5年間の発表作品102篇中82篇を集録、A5判、9ポ組、162頁で、詩集としては大部に属するだろう。遠山の詩には、鋭い感覚と透徹した目、精神の高みが感じられるが、一冊になると時代の反映が色濃い。

 麦田 穣詩集『風祭』(VAN書房刊、1200円)が3月1日刊行された。26歳、第1詩集。作品のほとんどは『舟』に発表されたものだから、ここでは何も語る必要はないと思うが、雑誌で他の人の作品にはさまれてみた場合と、一冊の詩集になった場合、同じ作品でも印象はひどく異なってくる。麦田の若さのはじけるような詩の世界が、詩集になると重い血と、肉を感じさせる。ここにはあきらかに一個の人間の総体があるのだ。一人の詩人の誕生が厳粛に感じられる、それが第1詩集というものであり、いっさいの汚れを拒絶した純潔無垢な、まさに処女詩集の名に値するものが、この『風祭』には感じられる。こういう詩集は最近少ない。

 今号、一色真理のエッセイに書かれている谷口利男遺稿集『攻防』が、編者・一色真理、河野良記、十村 耿、安田 有諸氏によって、2月中旬、七月堂より400部刊行された。B5判、156頁。詩28篇、エッセイ4篇、書簡、年譜が入っている。

 中 正敏詩集『続・小さな悲願』(詩学社刊・2000円)出版記念会が、発起人・小海永二、嵯峨信之、菅原克巳、中桐雅夫、西 一知、長谷川龍生諸氏の提案で12月15日夜、新宿マイシティの「プチモンド」で開かれた。中自身はこの記念会を望んでいなかったし、また年末の土曜日夜のことで小規模の会を考えていたが、100名近い方々が参集下さった。当日は差支えあり、出席したいが残念、という方もこの倍以上あり、同詩集に対する関心が非常に高いことがうかがわれた。

 日笠芙美子詩集『樹・夜の腕に』(詩の会裸足刊・1000円)出版記念会は、裸足主催で1月6日午後、岡山市民会館別室で、裸足同人を中心に開かれた。詩人の会合らしい清冽さがあった。なお、その前夜、岡山地区の同人、井奥、井元、なんば、日笠に西(一)が加わって同人会を開くことができた。この会合までお世話下さった『裸足』の坂本明子さん、ありがとう。

 芳賀清一編『仙石 誠詩集』(県内出版刊・400円)が県内出版詩文庫5として出されたが、たまたま上京した芳賀氏を中心に、一色真理の呼びかけで、『異神』、『舟』メンバーより数名ずつ、佃 学、水上 紅氏らも加わり、2月11日午後、新宿の喫茶・滝沢でささやかな発表会が開かれた。案内状に“仙石 誠氏について語られている時には、人は寡黙であった方が良い”とあったが、そのような会であったと思う。なお、この県内出版詩文庫シリーズは完全に芳賀清一氏個人の選定によるもので、それも詩人を対象としたものでなく、青森県下の学生を主たる読者として刊行されているようである。詩を詩壇の枠外へ、広く一般の人々に、というこういう地道な努力を黙々とやっている人は、芳賀氏のほかにも各地にきっといると思う。詩人の間でしか読まれない詩、社会的に存立し得ない詩というものは、考えてみると異常であるかもしれない。芳賀氏に声援を送りたい。

▼新同人参加

 左の各氏を深い共感をもって迎える。

 武田弘子 『四季』会員を経て現在『無限ポエトリー』会員、『曠野』、『南方手帖』同人。

 梶原礼之 68年詩集『すさんだ世界の子ら、ぼくの貧民窟』(埴輪刊、700円)、75年詩集『悪と毒薬』(巨眼社刊、1600円)。現在、評論誌『季刊評論』、詩誌『巨眼』同人。

 横倉れい サン・ジョン・ペルスによって詩作に開眼。安藤一郎氏の『青』に参加。77年詩集『動物から』(書肆山田刊、1800円)、78年詩集『思い出せぬ場所』(書肆山田刊、1800円)。

▼その他

●吉田ひろ子は、本号より、よしだ ひろこと改名。(西)

 

20号(1980年7月)

表紙画・谷口幸三郎

目次画・小紋章子


●詩はなぜ、誰のために?

▼本号、松尾静明の≪人間派時評≫は、≪レアリテの会発足の覚え書≫に一歩を踏み込んだ、ひとつの具体的な意志表示といえる。詩にかかわる、また詩を愛するすべての人に一度は読んでいただきたいものである。

 遠山信男の「詩の暗誦について」は、暗誦に興味のない人にとっても、その情熱と、探究の姿勢においてきっと打ってくるものがあると思う。できれば、一度試みられんことを。また、最近盛んな詩の朗読にかかわる人たちにも、一読されるべきものがあると思う。

▼新同人参加 ここ一年、レアリテの会への参加希望が多くなっているが、本号では次の3氏の入会が決定した。

 扶川 茂 1932年、徳島県生。現在も徳島県に在住。詩誌『戯』(そばえの会)発行責任者。詩集に『家族』(株式会社出版)、『伴侶』(母岩社)、『シジポスの石』(そばえの会)、及び無限現代詩選書3『花の背景』あり。昨年末刊行された『シジポスの石』は静かな語り口ながら、力と説得力を秘めた、最近日本語の詩集では最も美しい一冊といえよう(価1500円)。

 伊藤芳博 1959年生。愛知県立大学文学部に在学中。榊原淳子氏らと詩誌『詩心』発行。

 木村雅信 1941年生。東京芸大大学院卒。第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏者賞受賞。各地作品リサイタル他、自作バレエ上演のため東京ニューフィルハーモニー管弦楽団等指揮。作曲『アイヌ舞曲集』『天草のオラショ』他。著書『子どもの対位法』(全音楽譜)、『アステリスク』(ギタルラ社)等の音楽活動あり。詩集に『バリの旋律』、『星たち・静かなる計器』(共に創映出版)あり。

▼『舟』は今号から、共鳴する同人以外の詩人にも寄稿していただき、交流を深めることになった。『舟』にひとつの波紋が生じることを―。第1回金丸桝一氏は同人詩誌『赤道』発行責任者。宮崎県宮崎郡佐土原町3丁目在住。なお、氏は『舟』創刊同人のひとりでもある。

▼同人詩書刊行

 三原まこと詩集『病める心の淵から』(ルガール社・1200円)。これは、仙石まことがいわゆる詩人の間で読まれ、評価されるべく出した詩集ではなく、一会社員の肩書きで、世の多くの病める心のためにみずからの赤裸を捧げた詩集であり、教育・医学・社会福祉図書専門の出版社である京都・ルガール社から上梓したものであることに、大きな意義を認めたい。この詩集がどのような地点で書かれたか、それは序文の上智大学教授・臨床心理学の霜山徳爾氏の次の言葉が端的に語っている。「ビオスの持つ、どうともあらがい難い力にもてあそばれ、ギリシャ悲劇でわれわれになじみ深いあの運命(モイラ)にも似たものに打ちひしがれた著者は、まるでなじみのない不毛の大都市にまぎれこんだ、深い山林からきた漂鳥のように、哀しい当惑の内に投げこまれていたようです」。

 詩集は、なぜ、誰のために出されるか、詩集出版の原点の問いにこの詩集はこたえているように思われる。この書が、一人でも多くの病める心を癒さんことを―。なお、この書に装画を寄せているのは、本号目次画の小紋章子さん(『舟』旧同人)である。

 原田勇男第3詩集『火の奥』(沖積舎・1800円)。一昨年、青磁社から刊行された第2詩集『炎の樹』は、第1刷をすぐ売りつくすほど好評だったが、それ以後の詩を中心に32篇が収められている。“詩は魂のメッセージである” と著者はいうが、ここには、想像力と感受性に導かれて、一人の詩人の魂がたどった軌跡が、色濃く、熱っぼく出ている。

▼同人、関係者消息

 中 正敏本年度『詩学』<詩書批評>欄担当、厖大な詩書と取り組んでいる。

 遠山信男 5月24日、『光芭』60回例会で<ランボオ論>。6月10日、喫茶「ぼえむ」本八幡南口店で詩朗読会<第5回ボエム・ジャンボリー>開催。同店で毎月行う<詩研究会>第13回は、6月14日、テーマ「詩と集合無意識」について。

 一色真理 4月23日<無限アカデミー講座>で「詩人と自殺」、30日<同講座>で「作品批評」。5月10日、青山エルグレコで<第1回土曜の夜の朗読会>「H氏賞受賞詩人一色真理氏を迎えて」に出演。

 西 一知 『詩学』6月号<H氏賞特集号>に「一色真理について」執筆。同号には金丸桝ー氏も「一色真理の詩と思想ノート」を寄せている。月刊『珈琲共和国』<現代詩案内欄>に毎月詩と、同人誌を紹介。詩は4月一色、5月扶川、6月原田とたまたま同人の詩が3回つづいた。関心ある方は次へご注文を。(〒156世田谷区松原1の37の20会田ビル(株)日珈販『珈琲共和国』係。価80円〒代1部50円、2部100円、3部以上140円。年間購読料1500円〒共)。なお、札幌市の和田徹三氏の誘いを受けて、同氏が星野 徹、鈴木 漠氏らと出す同人詩誌「湾」に昨年より参加。

 長尾 軫 2月22日、高知市喫茶「えるぴい」徳広 崇コンサートで詩朗読。

 大家正志 5月、新劇団「Time Theater a 星雲」を結成。

 経田佑介 この春、1年半ぶりに『ブルージャケット』17号発行(価400円、〒120円)。

 笹岡信彦氏(本誌初年度表紙画参加同人)昨年度安井賞受賞記念笹岡信彦展につづいて4月3~8日、紀伊国屋画廊で第11回個展。リキテックスと木炭の1000号カンバスが圧巻。案内目録に画の内面の絵画論、重要。

 谷口幸三郎氏 本誌表紙画は今号で4回目(本号原画寸法610x 488mm)、原画は大きく迫力絶大。『舟』に剌激されてこの間50点以上制作という。同氏の個展をやらねば……。

 小紋章子さん、目次画ありがとう。(原画寸法は本誌画の約3倍)。(西)