西一知が編集・発行した季刊同人詩誌「舟」の毎号の後書きは、「季刊同人詩誌『舟』の軌跡」と題されて書籍になっています。第1号が発行された1975年からの同人の活動が刻々と紹介されています。また、日本の社会状況や現代詩の世界の動向なども垣間見ることができます。

舟1~5号 舟6号~ 舟11号~


11号(1978年4月)

表紙画・斎鹿逸郎

目次画・倉本修


●事実から出発せよ

▼私的なことになるが、この数年間、生物学の世界にかかわることになり、同時に歴史に首をつっ込むことも多かった。そして思ったことは、ここにはわれわれの恣意的な解釈をきびしく拒絶する具体的な事実しかない、ということであった。一枚のサクラの葉にしても、一匹のアリにしても、それは決してわれわれに見られるためのもの、われわれに有益であるための存在ではない、ということだ。

▼”抽象的芸術はその形態を変えれば変えるほどつまらなくなる”といったのは、たしか第二次大戦直後のウェイドレ氏であったと思うが、”抽象衝動の本源は空間畏避にある”といったヴォリンガー氏の今世紀初頭のこの厳粛なことばをあらためて今日思い出さずにはいられない。かつてピカソはアブストラクト・アートを批判して”事物から出発せよ、そうすれば何処へ向かおうとよいといったが、1960~70年代の文学や芸術の傾向を見ていると、残念ながら、ウェイドレ氏の予言は完全に的中しているとしか思えない。ピカソのことばも、当時のアブストラクト・アートに対する批判であるというより、あらゆる芸術の根源にかかわる深い省察であると私には思われる。芸術の抽象的傾向は、それがあたかも芸術の特性であるかの如く、今日あらゆる芸術を安易に支配しており、ほとんどの芸術家は、もはやあの恐るべき事物の世界を忘れはてたかのような感さえする。モンドリアンの絶筆が「わがレアリズムへの道」というタイトルであったことを、今日われわれは痛烈に思い出してみるのもよい。しかしこの問題の根は深い。われわれは今日、何もかも代用品ですまそうとし、与えられた抽象的解釈でもって、この世の事物も、おのれの生すらも、あらかじめわかってしまった無事平穏なものとし、何のそれも持たぬ生活に堕してしまっているのではあるまいか。詩人が健康者の一瞥を持つ者であるとするならば、ピカソがいったように、いま一度事物の世界に立ちかえり、事物に裏切られ、事物との血みどろの格闘から、詩人は再出発すべきだといえるだろう。詩人が文学を、画家が画を、音楽家が音楽をわかってしまった、と思い込んだときは、まさにその詩人、画家、音楽家の最後なのだ。「レアリテの会」が今日提起している問題の一つは、ここにもある。

▼本誌台第9、10、11号に表紙画で参加してくれている斎鹿逸郎氏の「斎鹿逸郎展」が、この第11号発行直前の3月10~26日、お茶の水画廊で開かれていた。農業の世界から画の世界に開眼したという氏の画業は、まさに〈耕す〉というにふさわしいものを持っている。この恐るべき世界を詩にかかわる多くの方たちに予告でもってご案内できなかったことが非常に悔やまれる。

▼さきに相沢史郎詩集『悪路王』を出版した青磁社から、今度は同じ東北の原田勇男詩集『炎の樹』が刊行された。現代の、燃える魂がここに見られよう。B6判、76頁、しょうしゃな手ざわりの本である。定価1000円。

▼昨年刊行された天野たむるの詩誌『汎濫』、吉田ひろ子の『みみづく』はともに第2号が出て順調に発展している。

▼日原正彦詩集『鋼の土筆』出版記念会が去る2月11日、築地の銀の塔で開かれた。詩集にふさわしく、若々しい気分にあふれた真摯な会合であった。

▼故中 浩氏の死より四年、痛恨の意を新たにし、謹んで冥福を祈る。

▼倉本 修氏の目次画はエッチング・アクアチント、タイトル「寄生の夜」。版画集『到達の発覚』(フォトタイプ20点)と、水彩画連作が現在進行中。詩に対して鋭い感覚をもった20代の画家である。寄稿を感謝。

▼甲府の詩人・矢崎克巳氏を同人に迎えた。詩作10年、ほとんど単独者といえる姿勢で書きつづけてきた詩人である。中部地方では最初の仲間を歓迎したい。

▼仙石 誠は本号より名前を満に変更。

▼「レアリテの会」または西宛に寄せられた多くの詩誌、詩書に対して、礼状も出さず失礼をしていますが、すべてたいせつに保存し時間をかけて拝見させてもらっています。昨年夏、20数年にわたる同人詩誌を整理しながら、この片々たる少部数の刊行物が、最近市販の大部数を誇る多くの刊行物よりはるかに大事なものを秘めていることを発見したのですが、皆さんいかがでしょう。  (西)

 

12号(1978年7月)

表紙画・斎鹿逸郎

目次画・小原義也


●夜明けの感覚と想像力を

▼ある友がいった。「夜が明けてきょうも太陽が昇った。何と感動的なことだろう」と。ぼくはこの言葉に感動した。地球が動いているということ、みずからが生きているということ、空気や、水があるということ、それらへの素朴な感動が、詩を書くにぼくにつねにあったかどうか…。慣れと驕り、この感受性の麻痺の中で人間はゆっくりと死んでいく。

 どんなに巧みに作られた芸術でも、作者の発見=驚きのないものは、つまり感動の輝きのないものは、瓦礫にしかすぎぬ。著名な詩人の書いたものよりも小学生の詩の方がまだましかも知れぬ。その小学生にしてからが、最近はまったくつまらない。あらゆるものが高度にシステム化していく中で、一番恐ろしいのは、人間の感覚と想像力がシステム化されることであろう。

 夜明けの感覚と想像力を持つこと、開かれた目を持つことが、詩の始原性を獲得することが、そのためにはまず必要なのかも知れぬ。それが、詩人として生きる者の今日的課題であるといえるかも知れない。

▼高橋玄一郎、北園克衛氏が相次いで世を去られた。両氏の詩業は決して小さくないが、生前それはあまり理解されなかったように思う。ひとりの詩人の精神と営み、その意味はその詩人の生が完結してはじめて少しずつ明らかになっていくものであるかも知れぬ。

▼仙石 満第2詩集「治癒宣言」(玄曜社・2000円)、金丸桝一第5詩集「日の浦曲・抄」(鉱脈社・1000円)が刊行された。前者には、真裸の幼児の魂のような直截性が、後者には、原初の輝く日に対峙する孤独で、豊饒な世界がみえる。共に詩の始原性について考えさせるものがある。

▼酒井文麿のソネット集(3分冊予定)と、菅野 仁の原点ともいうべき詩集・仮題「どろんこ抄」が、それぞれ準備中。

▼小紋章子が6月5日~10日、銀座・同和画廊「女友達八人展」に画を出品。栗田政裕が5月22日~27日、銀座・シロタ画廊で「栗田政裕木口木版画展」を開く。

▼一色真理が目下「詩学」の詩誌月評欄を担当しているが、その批評はいわゆる八方美人的なものではなく、自信を作品と読者の前にさらして、そこにみずからの思想性を確立していこうという気迫に満ちたものである。フロンティア精神のない批評はつまらない。批評もまた詩と同じように冒険で、ポエジイ活動の一つのあらわれであるといえる。骨の折れる仕事だが、注目している人は必ずいる。頑張ってほしい。

▼原田勇男詩集「炎の樹」出版記念会が、5月13日、仙台市「ブラザー軒」で、藤 一也、今入 惇氏の発起で開かれ、レアリテの会からは菅野 仁、西 一知が出席した。北の詩誌「方」「化身」「賊」「季刊恒星」「匣」等の詩人に久しぶりに会い、歓談できてよかった。出版記念会などつまらない、と思うこともあるが、原田勇男を機縁として(原田勇男に会ったのも初めてだが)日頃敬愛する東北在住の尾花仙朔、高橋兼吉、佐々木洋一氏等と対面し、言葉をかわすことができたことは、何といってもこの出版記念会のおかげである。ひどくメイテイし、朝気がついたら光栄ある(?)追廻住宅の原田勇男のところだった。昼前、この住宅をぜひみたいと東京からやってきていた辻 征夫氏と、前夜から同居していた「匣」の高野、丸山氏、原田勇男と西公園の芝生でニギリメシを食べたが、初めてみる仙台のやわらかい若葉からこぼれる日のきらめきは忘れがたい。

▼この1カ年、4号にわたって本誌のために表紙画を、同志的立場で寄せてくださった斎鹿逸郎氏に感謝したい。本号の原画は今までのもにょり2倍ほど大きく、この表紙のスペースでは印刷が危ぶまれる。不十分なできばえになると思うが、作者と読者の方には、現代の詩人と画家のつながりにもこんなものがあるのだということを知っていただく機縁になればさいわいである。

 画は、無言の詩である。「舟」において画は完全に詩でなければならない。

▼本号目次画は、小原義也氏の銅版画。氏は主として油絵だが、最近銅版画集「宙」を出している。西とは20数年来の詩と画の友、レアリテの会の主張に深く共鳴してくれている。

▼本号より、紅林いさ子、長尾 軫氏が参加した。 (西)

13号(1978年10月)

表紙画・斎鹿逸郎

目次画・向井隆豊


●表現はごまかしようがない

▼岩手県S村、山峡の東西4キロ、南東40キロという細長いこの村をつらぬく一本の道がある。今も昔も、この道は村の動脈で、冬期には文字通り村の生命はこの道にかかっている。まさしくこの道は、交通以上の役割をはたす〈生〉の動脈となっている。

 この夏、友人のクルマに同乗して、この道を北上した。彼の話によれば、この道は、クルマが走る現在でもまったく老人のもので、運転には細心の注意がいるとか、と聞いている中に、路上に立っている2人の老婆の姿が目にとびこんできた。クルマが近づいていっても、いっこうに避けようともしない。黙ってこっちを見ているのだ。やがて徐行するクルマの前に立って、馬を止めるように、大手をひろげて声をあげた。そして止まったクルマの中に、親しげに話しかけてきた。

 この道では、こんな事はザラにあるという。老人たちは、コンクリート道路をつっ走るクルマでも〈馬〉の感覚なのだ。そのために何人かが事故にあったというが、みな同じように、クルマの前に大手をひろげたのだろう。

 この村では、道は広場であり、〈生〉をかよわせるすべてなのだ。クルマではなく、人のための道なのだ。歯のかけた口をあけて笑う老婆たちは、大手をひろげながら、まさしく辺境に生きる〈こころ〉で現代を撃つ。

▼早魃の山村で、保存用の熊の肉をくわせられた。その何と臭えこと。でも折角だから食ってみた。とたんにムカムカと嘔吐、その中にウジもみえた。

 これは拒絶だ。傍観者づらをして、コギレイに〈ムラ〉を知ろうとする者への拒絶なのだ。とは思うが、〈ムラ〉の顔は、絶望的に暗い。そして早魃の〈ムラ〉に対するオレの〈表現〉とは何なのだと、オレも絶望的になる。

▼劇団〈東演〉の依頼で、猛暑の中を、アイルランドの土俗劇「西の国の人気者」(J・M・シング)を、東北方言に訳す作業に大汗を流した。やせること7キロ、自称〈北の犬〉も完全にへばった。

 〈コトバ〉というものに、これほど苦労したことがない。英語に圧殺されたアングロ・アイリッシュを、共通語に奪われた東北方言に移行するには、二つの闇をくぐり抜けなければならない。さらに舞台の上で、生きた獣のように走りまわる〈コトバ〉にならなければいけない。表記と〈コトバ〉のつぶし合い、いや論理と情動のつぶし合いか。

 稽古をみながら訂正にまた訂正、芝居が終わるまで訂正か、訂悪がつづくだろう。「詩の極点はドラマ」といわれるが、理屈ではなく、身体で実感した。赤毛芝居を東北土俗語で演ずること、いまの演劇状況にたいして、ブレヒトのいう〈異化〉効果になれば、もう7キロやせてもいい。

▼一色真理が『詩学』に連載している詩誌月評は、批評される者の精神や思想が、無遠慮でしかも無責任にとりあつかわれていないことに注目する。このような一色の批評論は現在では得難いしし、〈コトバを奪われた〉個にたいして、深々と呼びかける何ものかをもっている。秀れた批評とは、他者に、批評の対象をのりこえて、創造や精神をいざなうものである。一色の健筆を見守りたい。(相沢史郎)

▼彼がどのような詩を書いたかではなく、彼がどのような人間なのかということ、つまり一篇の詩、評論の裏に透けて見えるもの、それが重大だと思う。これは7月、東京新聞の山本太郎盗作を告発する生野幸吉氏と弁明する山本太郎氏の文章、また無限34号山本太郎特集に寄せられた諸氏の文章を読んでいて思ったことである。詩にも文章にも、それが建前であれ、本音であれそんなことには関係なく、その人間のすべてが一個の人格となってさらけ出されてしまっているのである。その全情熱を傾けて生きているものが何であるか、読者の目をごまかすことは決してできない。詩人は肩書きではなく、生き方そのものの中にあるのではないだろうか。その詩人がいま何を生きているかが問題なのだ。

▼9月はじめふっと神戸に行った。鈴木漠氏に会えた。そして、生田神社で神戸詩人の詩画展を見ることができた。それは恐ろしいものであった。100号ほどの油絵にじかに詩が書きこまれている。このようなことがいまの東京の詩人や画家にできるだろうか…。その夜は、藤村壮氏を前にうなされるような思いでめちゃめちゃに酔ってしまった。

▼本号から新たに2人の同人、日笠芙美子、下垣美和子両氏が加わった。レアリテの会はかなり硬派のつもりであったが、いつの間にか女性がずいぶん多くなった。しかし、本来の姿勢はいささかも崩れはしないであろう。

▼表紙画は1年4号で新しい画家にお願いするつもりでいたが、斎鹿逸郎氏の鉛筆画があまりに好評なのでもう1回だけお願いすることにした。向井隆豊氏の目次画は創刊号についで2度目である。

▼沖積舎では、目下同人の詩集が二つ進行中である。どちらも10月中に出る予定。

経田佑介詩集『泡たつ日々泡だつ海』

西 一知詩集『夢の切れ端』    (西)

14号(1979年1月)

表紙画・向井隆豊

目次画・日和崎尊夫


●詩と盗作問題

▼一篇の詩に見るべきものは、単なる作品としての出来、不出来だけではないであろう。作品は、既成の詩概念を打ち破ったところに発生することもあるし、むしろ、そのような未知の冒険に向かう探険家のような精神を蔵していない詩など、どんなにうまく出来ていても退屈である。詩は、既成の詩に対して忠実に、石橋を叩いて渡るように作られなくともいっこうにかまわないし、翼ある真の詩人なら橋など問題ではないはずである。

 山本太郎氏盗作問題は、すべての詩人に、一篇の詩に対して真に見るべきものは何であるかということを真剣に問いかけているように思われる。一篇の詩は、それがどのような作品であれ、その詩人の体験、資質、志向するものが全部含まれているはずである。しかもそれは、必ずしも自覚的なものではなく、深く感受性の世界のものであるが故に、読む側にも既成の詩概念を超えた、自由で、鋭敏な感受性が強く要求されるのである。國井克彦氏が詩誌『四海』の後記欄に相当するところで、”もっと時評家にじっくり読むことを要求しない現代詩手帖とはなんだ?ファッショじゃないか。“(78・10

発行)といっているが、戦後の一時期を除いてことに最近は詩の評者たちの<詩>に対する姿勢が硬化し、尊大になったように思われる。もちろん、すべての評者とはいわない。しかし、既成の詩概念にとらわれない、自由で、鋭敏な感受性を備えた、それゆえに真に詩を愛する謙虚な姿勢を持った、毅然とした評者はきわめて少ないように思われる。

 一篇の詩は、その詩人の精神の高さ、感性のデリカシイをあますところなく示しているものである。その詩が伝える魂のふるえや、ひびきや、香りや、力や、気品といったものは、読む者の知識ではなく感受性でとらえる以外になく、読む者の感受性もまた限りなく開かれたものでなければならないはずである。一篇の詩に真に見るべきものは、即席で人為的につけられたものではなく、その詩が蔵する詩人そのものであろう。山本太郎氏盗作問題に関して最も重要であると思われるのは、戦後山本太郎氏周辺の詩人たちに、いまあらためて<詩>なるものに対する基本的姿勢がきびしく問われているということである。むろん、ばく自身もその埒外にいるわけではない。

 1978年も間もなく終わる。元号法制化、有事立法問題等、個の尊厳の根底にかかわる問題が今年は数多く出てきたが、一方では、戦後文学、戦後詩を否定する発言も見聞きした。ぼく個人は、芸術や美の規範は過去に求められるべきものではなく、いかに稚拙で、苦しくとも、現代に生きる自分自身の理由によって、現代のことばで詩作品は生み出されていかなければならないと思っている。昨夜(11月30日)は、夕方ちょうど水戸から出て来ていた同人の鈴木 満さんと、また夜中近くには作曲の小室 等さんと話していたが、満さんは「大事なものは直感力だ」といい、等さんは「大事なものは自分のなかの人間だ」といっていた。そして、戦後の人間も、歴史も、すんなりと一直線に発展し、結実することはないだろうけれど、育たなければならないものはやはり大きな目で見ると、少しずつ育ってきているのではないか…、満さんも、等さんも同じようなことをいっていた。詩人の感受性=

洞察力は、一篇の詩に対してだけではなく、時代に対しても大きく開かれていなければならないであろう。

▼『舟』、「レアリテの会」の立脚点と方向は前号巻頭の<覚え書き>に、ほぼ全面的に示されているが、ここでいわれていることは、個の尊厳と、詩の始源性に関することである。それを、詩人の内面において深く追求しているものと、言葉の技術の面から追求していこうとするものと、同人の活動状況は一様にはとらえられない一見複雑なものであるが、詩において最も重要なものは、自由と、多様であると思う。様々な精神が真の<詩>を守るために、いわゆる党派性や派閥性に依存することなく、自立した自由な精神が、詩に関して全く対等に深く手を結ぶということは、今日の詩の状況、時代の状況からみても必要なことであると思う。「レアリテの会」は少しも閉ざされた会ではないから、共感する詩人やグループとは積極的に交流していきたいと思っている。この一年も詩誌・詩書、展覧会や催しのご案内等を数多くいただいた。礼状も差し上げず失礼しているが、ここを借りて御礼申し上げます。

▼新同人紹介・橋本信博=現30歳、10年程前『あいなめ』に所属していた若い詩人の参加を歓迎したい。

▼経田佑介詩集『泡だつ日々泡だつ海』(沖積舎刊1800円)が出た。”魂(ソウル)を持つことによって人間はものと対峙している“(あとがき)と記しているが、激しく感受性のふるえる詩集である。

 している“(あとがき)と記しているが、激しく感受性のふるえる詩集である。

 西一知詩集『夢の切れ端』(沖積舎2000円)も12月初旬には出る。11年ぶりの詩集。

▼前号後記に相沢史郎自身が記していたアイルランド土俗劇「西の国の人気者」(J・M・シング)の東北方言による劇団<東演>の公演が11月15~23日行われた。翻訳で相沢は7キロやせたそうだが、その充実した舞台はそれだけの甲斐があったことを示していた。

▼吉田ひろ子は谷中の詩人彦坂紹夫氏とこの秋めでたく華燭の典。ご多幸を祈ろう。

▼向井隆豊氏が本号のために制作の油彩画をカラーで印刷できたのはうれしい。日和崎尊夫氏は久しぶりに目次画を寄せられた。深謝。

(西)

15号(1979年4月)

表紙画・向井隆豊

目次画・谷口幸三郎


●”生の復権“をめぐって

0君へ―、いま三月十五日の夜明けです。夕方から降りはじめた雨があがって、雲の大群が東の空に吹きはらわれ、かすかにあからむコバルト色の空に星がみずみずしく金色に輝いています。ランボオなら屋根のうえに痰を吐いてさてこれから出かけるところでしょうが、「舟」の編集が終わったぼくはやむなく大都会の活動がはじまる前のひととき、ペンを持って紙を広げたところです。そして、三月十五日とは何か? どういう日なのかと考えようとしたのですが、どうしても具体的なことが頭に浮かんできません。ぼくは窓を開けて空を眺めています。一年三百六十五日にはお正月や誕生日や、楽しい日や悲しい日などさまざまあって、すべての日が平等であるというわけにはいきませんが、自然の日没と夜明けは神のごとく公平に、確実に毎日やってきます。これは、カレンダーがあろうが時計がなかろうが、人間がいようがいまいが何十億年もの昔から、そしてぼくらが死んでから先もずっと気が遠くなるほど先まで、確実につづくことなんですね。ぼくがいま見ている夜明けの光は、何百万年もの昔ぼくらの祖先が見たものと寸分違わないものといってもいいのでしょうね。かれらはどのような思いで見たのでしょう。少なくとも、ジェット機や電波の時代のぼくらとは違ったものでしょうね。なぜかわからないけど、ぼくはかれらがうらやましくなります。悲しく、ふと恐ろしくさえなります。ぼくは窓を開けて、肌もあらわに空と密着したいという感情がわきます。しかし、空もいまは完全に清浄ではありません。鳥が鳴きはじめました。空はぐんぐん赤みをまします。地球の回り方はものすごく速いのですね。空気が汚れていようといまいと地球は回っています。ああ、夜が明けるということは何と壮大で、感動的なことでしょう。現代がどのような時代であれ、宇宙のこのドラマはすばらしいものです。人間が仮にどのように偉大であれ、宇宙の、自然の落とし児にしかすぎません。人類が永遠であるという考え方はナンセンスだといったら怒る人がいるでしょうか。ぼくは、永遠でないからこそすばらしいのだということもできると思います。有限であるからこそ、この生をいとおしみ、愛し、充実したものにしようとできるのだと思います。しかも、先ほどの宇宙の、自然の落とし児ということをひっくり返していえば、ぼくらは自分のなかに、宇宙が、自然が充満しているのだということになります。たとえぼくらの生命が芥子粒より小さい存在だとしても、宇宙現象、自然現象の一環であるということはなんとすばらしいことでしょう。ぼくらは、この宇宙と、自然と交感しあえる能力を持っているはずですし、この能力を衰えさせてはならないでしょう。D・H ・ロレンスは『アポカリプス論』のなかで、二、三千年前の人間は、火星や、木星の運行と呼応し合える能力をその生命のなかに持っていたが現代人の多くはそれを失ってしまったといっていますが、きみはどう思いますか?早春の雨あがりの空気を吸いながら夜明けの空を眺めていると、心臓の鼓動は、決して比喩ではなく、夜明けの光とも、風とも、冷気とも呼応しているのだということがわかります。『舟』の後記にいったい何を書こうとしているのか、という人があるかも知れません。はっきりいいましょう。ぼくたちは詩グループ「レアリテの会」の存立の基盤に重要なテーマとして”生の復権“ということを置いています。生の復権は、生の尊厳が十分にわかっていなければかなり中途半端なものになってしまいます。国家や法律が、仮にいかに個の生の尊厳を守ろうとしても、人間の生の本質と人間の持つよき能力を十分に理解していなければ、逆に人間も破壊してしまう結果を招くことだってあるのです。生の尊厳はだれが保証するよりも前に、この夜明けの光のようにみずからのなかに本来的にあるものではないでしょうか。自然と、宇宙と呼応し合って息づいているみずからのうちなる生命を、深く感じているものをこそ<詩人>とぼくは呼びたいのです。古代人は、その意味では舟乗りも、獣を追う人もみんな詩人としての基本的能力を持っていたといえましょう。はじめにぼくがかれらをうらやましく、かえりみて、この大都会のまっただ中の八階から空を見ている自分が悲しく、ふと恐ろしくさえなるといったのは、いまぼくが書いている詩を一万年、いや千年、いや百年前の人が読んだとして、”この詩の感度はいったい何だ“と一笑に付されるのではないかという思いが頭を走ったからです。千年前の作品で現代のぼくらを感動させるものはごろごろあるが、現代の詩で千年前の人を感動させ得るものがはたしてあるだろうか? 何よりも詩はそのなかにある人間と感受性の深さ、豊かさということになるだろうが、それよりも何よりも自然と、宇宙と呼応し合う生命そのものが、十分に、みずみずしくみなぎっていなければならないと思うのですが、0君、きみは詩人としてこれをどう思いますか? 仕方ないとあきらめ、持てる能力の範囲で書くしかないじゃないか、といいますか? ぼくは、そうじゃない、それではいけない、それでは無責任だと思います。きみの内部には、まだ発見されない、発見されることを待っている鉱脈があるはずです。自己に忠実に、ときみはよくいいますが、それはすでに知られた自己に対してだけではなく、まだ知られざる自己に対してまでもそうでなければならないとぼくはいいたいのです。ボードレールがやったように、みずからの深渕に深く探索を入れるということ、目もくらむ世界へ入っていくということを、詩人であるならばきみにもぜひやってほしいのです。詩の世界に生きるということは、詩神にみちびかれてまだ見たこともない世界のすみずみまで経めぐるということではないだろうか、ぼくは、詩を書きはじめて以来ずっとそんな気がしています。とてもおもしろいのです。生きるということは驚きでいっぱいです。書くということがなくなることは絶対にありません。むしろ、あり過ぎて困るくらいあるはずです。人間は、どんなに発見を積み重ねていっても、そのまだ向こうに発見されないものは無限に近くあるはずです。すぐれた詩や芸術に見えるものは、このような世界の豊饒さではないでしょうか。「<詩>にとって、人生は必要ですか?」というアンケートが『Vie』という詩誌の二号にのっていて、五〇名ほどの詩人がそれにこたえているのを見ましたが、なぜこのように性急に書くということを考えるのでしょうか。重大なことは、今日詩から人間が失われつつあることで、むしろそれをとりもどすことの方が、生の復権こそが詩人の最大の課題だとぼくは思います。詩人は感受性によってこの生をもう一度豊かなものにする、そういう義務と責任があるのではないでしようか? そのために、功利的なことはいっさい考えずに自腹を切って営々と出している同人誌や個人誌は、決して少なくありません。ぼくは、これを”第三の文学“だなどとは決して考えません。真の人間的行為の一例がここにもあるといいたいのです。『舟』はそのような詩誌でありたいと思っています。すっかり夜が明けました。0君、「<詩>にとって、人生は必要ですか?」ではなく、「<詩>において、見るべきものは人間なのだ」とぼくは思うのですがいかがでしょうか? ぼくがロートレアモンを好きなのは、「ぼくは生まれてきたという恩寵だけで十分だ」といっているからです。わかりますね…。それでは、ぼくはこれから労働のために町へ出ます。

(西)

▼遠山信男が『詩人会議』2月号に「飢渇」という長篇詩の第1回を発表している。また中 正敏は本号に叙事詩を書いた。詩の精髄は短い韻文詩にあるという考え方はぼくもとっているが、ただひたすらそれに磨きをかけ、完成を目指していればいいものとは思わない。それをかき乱すことによって詩の底辺を広げ、新しい活力を得ることもある。また、長篇詩や叙事詩でなければ書けないものもある。ともかく、最近の小ぢんまりとおさまった詩の世界を突破しようとするこのような試みも詩人にとっては必要だ。

▼山下政博氏が同人参加。また、室戸測候所にいる若い詩人麦田 穣君が本号より復帰した。

▼遠山信男のきもいりで久しく途絶えていた喫茶「ぼえむ」の詩の朗読会が復活した。場所は市川市の本八幡北口店で2月13日千葉詩人会議主催。『舟』からは西、遠山が参加。なお、同チェーン店の機関誌月刊『珈琲共和国』(先号遠山記事参照)は大変好評だが、入手は左記へ申し込まれたい。同誌<現代詩案内>欄(西担当)は昨年8月号から。〒156.世田谷区松原1の37の20会田ビル日珈販『珈琲共和国』係。年購読1500円。

▼目次画に新鋭の木版画家谷口幸三郎氏が参加。芸大大学院を出たばかり、期待したい。

▼経田、菅野、仙石、西詩集合同出版記念会が4月6日夜6時から日本出版クラプで開かれる。会費5000円。

(西)