36号(1984年7月)

●個の生の危機と詩の衰弱

 

▼「舟」は36号で9年目を終わり、次号より10年目に入る。季刊同人詩誌「舟」は1975年8月15日創刊。笹岡信彦のダイナミックな表紙画と、向井隆豊のみずみずしい目次画を得て出発した。詩は金丸桝一、北村均、武子和幸、菅野仁、中正敏、一色真理、斎藤直巳、岡崎功、経田佑介、井奥行彦、鈴木漠、山崎和枝、角田清文、天野たむる(河井洋)、鈴木満、大家正志、なんば・ みちこ,こたきこなみ、日原正彦、麦田穣。エッセイは一色真理、西一知、金丸桝一、相沢史郎、笹岡信彦、斎藤直巳、経田佑介。A5判、本文64頁、450部であった。いまは絶版、品切れとなった創刊号<後記>を引用してみよう。

 ”本誌は、今春、中正敏と西一知によって提案された。そして、予定通り8月創刊を迎えた。地域、世代、さまざまの問題を超えてここに―つの強い詩精神の場が生まれ得たのには、もとよりそれなりの理由があるが、この欄でそれを主張したくはない。いかなるマニフェストよりも深くぼくらをつき動かしている何かがあったのだ、というにとどめたい。ぼくらは、それを凝視する。

 それは、これから徐々に明らかにされるであろう。読者諸賢もそれをみつめていただきたい。”(全文)

 「舟」創刊の主旨は、その後4号で発表された<レアリテの会発足の覚え書>(本号51頁に再掲)にみられる通りだが、この9年間、同人の入れ替わりはかなり多かったけれども創刊時の詩精神は一貫して貫かれてきているように思う。

 現代詩の衰弱が云々されているとき、「舟」はひたすら<自己の深化>の問題と取り組んできた。いわゆる今日的問題へのアプローチは、「舟」ではほとんど行われてこなかったが、時代に対するアクチュアルなかかわりを私たちは避けていたのではない。ただ、そのかかわり方が問題である。現実とは何か。マスコミ、ジャーナリズムが報道し、解説するものが、私たちの現実であろうか。現実そのものはつねに沈黙している。詩人が時代にかかわるということは、この現実に目を開き、声を聞き、その深層を全的に直観するということではないだろうか。それは、<自己の深化>なしにはあり得ないことなのだ。<発足の覚え書>で”いまや、詩人の行為は個の生の危機との戦いである“といったが、個の生をおびやかす最大のものは、核や、コンピューターによる管理社会云々以前に、個の意識の衰弱、感性の画一化など、まず自己自身の問題があるはずである。「舟」はこの9年間、まずみずからの詩人としての能力の開発と蓄積に全力を傾けてきた。

 「舟」9年目の最後の本号は、期せずして宗教にかかわるエッセー特集の観を呈した。期せずして、というのは、「舟」には今まで編集企画というものがなく、同人は毎号書きたいものを自由に書き、頁数の都合以外にはそれらはすべてそのまま載せるという方針できているからで、それがここで宗教、すなわち生き方、すなわち倫理の問題に集中してきていることに注目したいのである。「舟」1号は、一色真理の巻頭工ッセー<荒野で獅子が——詩人の態度価値>で幕を開けた。詩における人間の全体性において倫理はその核となるものである。同人の入れ替わりは多かったけれども、詩の根源に向ける同人のまなざしはつねに熱く、志はより高い方へと、この緊張は持続され、本号にはその必然の帰結がみられると思うがいかがであろうか。

 詩と宗教の問題にここで一言触れておくならば、宗教は現実逃避の具ではなく、逆に侵入の武器となるものであるということである。A・ブルトンは、シュルレアリスムもレアリスムであるといっているが、シュルレアリスムはいまや世界的傾向としてレアリスムでなくシュルとなってしまった。それは、現実に目を開かせるものではなく、現実から目を逸らさせる具となり果てた。宗教にも、レアリスムとしての宗教とそうでないものがある。オカルト、麻薬、セックスの次元に宗教が加わっていく危機をここで論じる余裕はないが、詩人はここで想像力の役割というものをしっかり把握しておく必要があろう。すなわち、想像力とは現実逃避の具ではなく、現実の発見、現実変革の原動力となるものであり、それは自己と世界発見のための至上の武器となるもの、人間の尊厳を担うものだということを、である。

 時代に対するアクチュアルなかかわり方は詩人においては、マスコミ、ジャーナリズムの後塵を拝するようなものである必要はないし、「レアリテの会発足の覚え書」は10年目以降においてさらに重要となるであろう。

▼表紙画は本号より谷口幸三郎氏から梅崎幸吉氏へ、目次画も同人小紋章子から針生夏樹氏ヘバトンタッチされた。谷口氏は17号以来、小紋は20号以来35号までの長きにわたって寄せられた。感謝申し上げる。ことに谷口氏の毎号の画の変貌と進展は驚くばかりで、「舟」は表紙画を待つ楽しみもある、といわれてきた。氏も「舟」が続く限り、といって下さっていたが、「舟」には新しい画家を紹介する仕事もひとつある。谷口氏も20代の青春は越したし、大きな発展を期待して新しい人に席を譲っていただいた。梅崎幸吉氏も30代に入ったばかり。このような激しい精神性を追求する画は今日稀有と思われる。原画はコラージュの手法だがオブジェに迫る。目次画の針生夏樹氏は今春明治学院大卒。「負の覚書」等自主製作映画の脚本・監督、画家。どのような発展をみせるか期待したい。

▼相沢史郎、東国三郎は本人の事情により本号からしばらく休会する。

 藍原準は本号から房本範丈に変更。

 新しく都築佳代子を同人に迎える。同人誌参加は初めてであるのでよろしく。

▼武田弘子の第1詩集『陸橋』(混沌社、1500円)が表紙にエドワルド・ムンクの画を配して5月に刊行された。高知の窪川町にひっそりと身を置き、闇から日常へ、日常から闇へと、10年余の詩人の足跡の集積である。

 江部俊夫(小川俊夫)も編集に参加している高知県こども詩集第8集『やまもも』(高知県児童詩研究会、1200円)が刊行された。県下209校、6200余篇から選ばれたものという。毎年こういう仕事を続けることは大変貴重で、意味も大きく、敬意を表するが、この集はうまくおさまり過ぎた詩が多い。優等生的な詩が多いということは、入選を意識して書くこどもに問題があるのか、選ぶ基準に問題があるのか、いずれにしても、詩とは何かをもう一度考え直すべき段階にきているように思われる。

 先号予告の大河原巌エッセー集『現実を超える幻想・断章』が『個我の危機と言語』と改題して雄山閣出版(株)より発売された。定価1500円。先の詩集『自画像』とあわせてぜひご覧願いたい。

 仙石まことが「舟」旧同人中本耕治氏と詩誌「COPAIN」を始めた。創刊号には大瀬孝和がゲスト。一つの方向性が感じられる。

(西)

本号編集同人(40号まで)遠山 西